さて、いよいよ核心に迫るわけだが
いかんせん準備が甘いことに気付かされる。
万一のことがあっては困るのでここでは
念入りに資料を集め来るであろう歴史的瞬間に
備え準備しようではないか。

さて、問題の地下壕群であるが、ただ穴を掘っただけでは終わらなかったようだ。当時は気温・湿度の変化が少ないとして漬物などが置かれ、また伊勢湾台風のときは非難する場所となったと、地下壕のある山を所有するお婆ちゃんは語ってくれた。この写真の場所についてはこのように可児市久々利と柿下を結ぶトンネルとしてつい最近まで使用された痕跡もある。無論今は柵がしてあり通行止めとなっている。安全のため、このような場所は多数あると思われる。
ここはガードが甘いようだ。このような穴もたくさんあるのでどこから入っていいか分からない。どうも地下壕の全体像を知る必要があるようだ。やみくもに入っていって出れないなんてことになったら、恐らく安全のため全ての入り口が完全閉鎖されることになり、これから調査しようとする人たちにとって多大な迷惑を掛けるだろう。地図かなにか残っていないものだろうか?早速可児市立図書館と可児市史編纂室に行ってみる。ここにも資料は少ないようだったが、市史編纂室の方々は忙しいのに資料を集めてくださ
ったことに感謝している。この地図は、ノエルが決死の思いをして極秘ルートで入手した(嘘)アメリカ軍戦略爆撃調査団が作成した(本当)地下壕の全体地図である。ちょっと見づらいのでもう少し寄ってみる。
このようになっているそうだ。英語で何が書かれているのかよく分からないが、左上の大文字からUnderground Plan(地下計画)Pailot Tunnels(パイロット(案内)トンネル)Enlarge Under Construction(拡大工事)Enlarge Finished(拡大工事完成)である。
で、でかい、これほどでかいとは。
まさかここまで地下壕が広がっているとは思いもしなかった。スケールが違うっておにいちゃん。誰が見ても念入りな計画が必要だ。
これは市史編纂室より提供をいただいた資料の一部である。(久保井規夫 「地下軍需工場と朝鮮人強制連行 明石書店」)このトラックのようなものを見つけることができれば我が探検は大成功と言えるのではないか?皆さんにインターネット初公開となるであろうカラー写真をご覧いただけると思う。

いよいよ下見編最終章へGO!