magnet 3 あの真選組副長が「人形」を愛でている。 そう陰で言われていることなど、百も承知だった。 だが、そんな世間の目などどうでも良かった。周囲から奇異の目で見られたとしても構わなかった。 肝心なものが、そばにいるのだから。 腕の中には、虚ろな目をした一人の女―――自分が壊した、女。 そんなつもりは無かったと、今更口にしたところで言い訳以外の何物にもならないだろうし、口にするつもりも無かった。 今の状況を悔やんでなどいないのだから、それは尚更だ。 ここまで一人の人間を、を壊しておいて後悔一つ無いなどと、それは或いは狂気の沙汰なのかもしれない。 それでも、手を伸ばせば届く距離にがいる。この腕に抱くことができる。なれば、それはむしろ狂喜の沙汰とも言えた。 腕を引けば簡単に腕の中へと落ちる身体。 抱き締めても何の反応も見せない身体。 泣くことも笑うことも、声も感情すらも失った、その姿は正に「生きた人形」。それが、局中法度に背いた女の成れの果てだった。 が攘夷浪士と通じていると―――攘夷浪士の中でも最悪とも言える高杉晋助と繋がっていると、そう報告を受けたのはいつだったか。 俄かには信じがたい話だった。すぐに動くことを是とせず、様子を探るだけに止めていたのは、信じていたいという甘さがあったからだろうか。にはの考えがあるのだと。自らを囮として、鬼兵隊を叩くための機会を窺っているのではないかと。 だがそれが希望的観測に過ぎなかった事は、ほどなくして知れた。 本気で二人は付き合っていたのだ。互いの正体を知った上で、それでも本気で愛し合っているのだ。も、そして高杉晋助も。 信じがたい事実だが、しかし真選組監察の有能さはよくわかっている。むしろ有能でなければ、起用したりするはずもない。なればそれは、確かな事実だ。 に対する尋問は土方が自ら行うことにした。基本的に隊内の人間はに甘い。それは、ここ最近どことなく元気の無いを誰もが心配していることからもわかる。いくら仕事に私情を挟むなと言っても、気にかけている身内に対しては非情に徹しきれないだろう。 夜中に屯所を抜け出して駆けて行ったの帰りを待つこと数時間。白み始めた空の下、戻ってきたを屯所の前で出迎えれば、その顔は絶望に歪み、今にも泣き出しそうで。その表情が、何よりも真実を物語っていた。そしておそらくはが、この結末を覚悟していたのであろうことも。 「話がある」と腕を掴んでも、逃げ出す素振りも見せなかった。 ただ全てを諦めたように、力なく項垂れ。それでも覚悟の証か、その瞳にだけは光を宿して。 屯所の一角で始まった尋問に、は頑として口を割ろうとしなかった。素直に吐けば良いものを、一切口を開こうとしないに、尋問はいつしか拷問へと変わっていた。 それでも、拷問にも屈することなく、自白剤すらもの意志を覆すことはできなかった。 泣きながら漸く開いた口から零れた言葉は「殺してほしい」―――ただそれだけを繰り返し懇願する姿に、そこまでして相手を、高杉晋助を庇う姿に、苛立つと同時に覚えたのは間違いようもなく劣情だった。 ボロボロに傷付いた身体で、それでも意志を曲げることのない凛とした瞳に魅入られたのだ。だがそれが、そんな彼女を形成する全てが高杉のためなのだと思う程に、込み上げるのは八つ当たりじみた感情。 衝動に突き動かされるままに、幾度も抱いた。泣き叫び抵抗するを無理矢理抑え込んでの行為。舌を噛み切って死のうとしたの口に猿轡代わりに布を押し込んでまで続けたその行為は、強姦以外の何物でもなかったろう。 にとってはそれこそが最大の拷問だったのだと思い至った時には、既に彼女の意識はぷつりと切れていた。 目覚めてからも何の反応も示さない。肉体的な痛みと薬剤投与で限界に来ていただろうその身は、ついに精神を手放したのだ。 ついに高杉の居場所を口にしなかっただったが、そんなことは最早どうでも良くなっていた。 腕の中には人形と成り果てた一人の女。けれどもが腕の中にいるという事実に変わりはない。 その事実さえあれば、後はどうでも良かった。 周囲の視線など気にもならない。誂えた着物を着せてやり、常に傍に置いて、夜毎その身体を抱く。その白い肌に残されていた他の男の印など、今は何処にも存在しない。あるのはただ、己の所有の証だけだ。 自身でも病的だとわかるその執着の意味を知ったのは、実のところつい最近のことに過ぎない。気付いてしまえば単純極まりない感情が根付いていたからだ。 しかし、頑なに口を割ろうとせず、身を犠牲にする事も厭わないだけの感情は他の男へと向けられ、決して自分へと向けられることはなかった。 それだけの思いを手に入れたい。思いが無理ならば、身体だけでも手に入れて。手に入らない心は、いっそ壊してしまえばいい。 滅茶苦茶に抱いたその裏側に、そんな思いが無かったとは言い切れない。 事実、今の状況にひどく満足している自分がいるのだ。 腕の中に大人しく収まっているその頤に指を添えれば、然したる力を込めずともその顔が上向く。 真っ直ぐに向けられる瞳。虚ろなそれを覗き込めば鏡のように自身の姿が映し出されるが、しかしそれはただそれだけであり、は何も視てはいない。 そっと重ね合わせた口唇にも、何の反応も見せない。舌を潜り込ませても、その口内を吸い尽くして尚、微かな反応も返してこない。 それは着物を肌蹴て胸をまさぐろうとも、秘所へ己を突き立てようとも、同じことだった。はどんな反応も見せない。 普通であれば虚しさを覚えてもおかしくはない状況。けれども土方はそれどころか逆にへと責任を押し付ける。 抵抗などしなければ良かったのだ。素直に高杉を売り渡せば良かったのだ。そんな男を愛さなければ、最初から此方へと振り向いてくれていれば――― そうやって自己を正当化しようとする浅ましさに、我ながら吐き気がする。 次々と暴かれる自身の醜い感情。だが自嘲はいびつな笑いへと変わり、理性は欲望にかき消される。 そして今宵もまた、物言わぬ人形を掻き抱き、その身に溺れていく。 それは、いびつな関係。歪んだ愛情。 それは、破綻を待つだけの呪縛。 満ちた月が、雲の切れ間から夜を照らし出す。 夜にあって煌々と灯りのともされた部屋。その中で何をするでもなくただ座り込む、一人の女。 「」 呼び掛けても、顔をこちらへ向けることはおろか、微かな反応さえも見せない。 それに構うことなく土方は彼女の傍へと歩み寄ると、その身を抱き寄せる。 確かに此方を見る事はない。けれども、他の何も見る事はない。その目が自分だけでなく他の何をも映さないのであれば、それで構わなかった。身の回りの世話をし、この腕に閉じ込めて―――それができるのが自分だけであることに満足していたのだ。 反応を見せない彼女にそれでもその名を呼び続ける理由には、だから気付かない振りをする。いつか振り向いてくれるのではと、そんな甘い願いを切望する資格など無いのだ。そんな事は自身がよくわかっている。 屯所の片隅、人気の無い小部屋に二人きり。 普段の冷静な思考などここでは働かない。先の事を見据えることなく、ただひたすらに目の前にいるに溺れていく。 毎日、変わることなく。 何の進展があるはずもないこの状況は、だからこそ永遠に続くかのように錯覚していたのだ。 今日。この時までは。 「テメェ……」 「返してもらいにきたぜ、ソイツをな」 穏やかならぬ気配を感じ振り返った先には、この場にいるはずのない男が立っていた。 いや、現れたのはむしろ不思議ではないのかもしれない。ここにがいる限り。 溢れ出る殺気を隠そうともしない男。 土方とて、むざむざとを渡すつもりは毛頭ない。を閉じ込める腕に、力を込めた。 彼女の瞳は、変わらず虚ろを映したまま――― →4 ('09.10.14 up) ![]() |