『死神』が来る――― 迫りくる恐怖に怯えた天人がうわ言のように幾度も繰り返した其れは、強ち大袈裟な表現では無かった。 殺戮人形が嗤う夜 時刻は丑三つ時。 欠伸を噛み殺すことすらせず、沖田は黙って腰を下ろしていた。 今回の任務は、とある天人の護衛。好き好んでここにいるわけではないが、上司の、更にその上から下りてきた命令だ。仕事を選り好みできる立場にないことは、沖田自身もわかっている。 そもそもの発端は、近頃江戸を騒がしている連続暗殺事件。対象は幕府高官や天人。被害者の数が増えるに従い見えてくる共通項。それは、殺された者すべて、人身売買への関与を噂されていたという事だった。 勿論、そんなことは公にされることはない。それでも人の口に戸は立てられないように、まことしやかに噂は広まる。 地球人を体の良い道具としか見なしていない天人。それに阿る幕府の高官。彼らに対する制裁とも呼べるような所業に、しかし人々の反応は恐怖で彩られていた。 その暗殺者が屋敷に押し入ってから、暗殺対象に辿りつくまで。出会った人間も天人も、例外なく殺されているのだ。殺害の現場を遠目に見ていたおかげで辛うじて生き残った者は口々に言う。「あれは死神だ」「感情の無い殺戮人形だ」と。 狙われているとわかった幕府高官は、しかし助けを求める事などできない。求めたが最後、自身が人身売買に関わっていると申告するようなものだ。 対照的に天人は、しらばっくれながらも護衛を要請する。どうやら天人には恥も外聞も無いらしい。 ともあれ、おかげで真選組にまで声がかかってきたわけだ。正直、天人がどうなろうとも沖田にはどうでもいい。しかし、任務を命じられた近藤の面子は立ててやらねばならないと、それだけのためにこうして護衛対象の部屋の前にいる。 広大な屋敷には、元からの警護に加えて、真選組一番隊の隊士たちも配置されている。他にも護衛の要請はあり、この屋敷だけに人数を割くことはできないのだ。逆に言えば、沖田ならば何かあってもこの人数で対処しきれるだろうという、近藤と土方の信頼の表れでもある。 土方はともかく近藤の期待には応えねばならない。そう考え、護衛の任に就いて早一週間。何の変化も起きない状況に、これはそろそろ護衛を解かれることだろう。 襲撃が無いのであれば、当然ながら沖田らに責は無い。何を咎められることもないだろう。そもそも、暗殺者に狙われるような事をしているのが悪いに決まっている。勿論、相手は天人なのだから、人間をどう扱おうとも勝手だと開き直りそうではあるが。 そんな天人の態度に苛立ちはすれども、然程の興味は無い。だから、今夜も何事もなく過ぎ去れば良いと、眠い頭で願う。 だが、舟を漕ぎかけたところで、ぴくりと沖田の肩が跳ねる。 遠くであがる怒号。そして悲鳴。どこか騒然とした空気が、屋敷の奥にまで伝わってくる。 「―――何も本当に来なくてもいいじゃねーかィ」 溜息を吐きながら、ゆらりと沖田は立ち上がる。 次第に近づく喧騒。止む気配は無い。となれば、暗殺者は確実にこちらへと近づいてきているということだ。 屋敷の内外に配置していた人員はどれほどだったかと思案するが、すぐに止める。考えたところで、何の意味もない。相当腕が立つ相手だという認識は、そもそも持っていたはずだ。 背後の室内でも騒ぎに気付いたのか、天人の短い悲鳴と共に、空気が緊張する。 しかしそんな緊張とは無縁に、沖田は刀の柄に手をかける。久々に、対等に戦えそうな相手となれば、気分が高揚するのを抑える事などできはしない。 カツン、と耳に届く硬質な音。いつしか喧騒は静まり、カツン、カツン、と規則的な音だけがゆっくりとこちらへ近づいてくる。 視界の端に映った白と、カンッ、と甲高い音。 瞬間、刀身を鞘から抜き放っていたのは、反射的なものだった。 金属同士が打ち合う音、腕にかかる負荷。そこでようやく、斬りかかられたのだと沖田は理解できた。 考えるよりも先に身体が動いていたのは、潜り抜けてきた死線の数による経験に他ならない。 もっとも、数メートルの距離を瞬時にゼロにしてしまうような相手とは、これまで相見えたこともないが。 刀を横にはらい、沖田は相手と距離をとる。すると、相手の、暗殺者とするには些か異様な全身像が視界へと収まった。 屋内にも関わらず平然と土足であることはともかく、履いているのは厚底の黒い下駄。お世辞にも動きやすいとは思えないそれがハンデにすらなっていないのはこれまでの、そして今し方の動きで明確だ。 身に纏うのは真紅の着物。その上から羽織る、対象的なまでに真白い着物は死装束だろうか。 右手には抜き身の刀。口元にはうっすらと笑みを浮かべ、その瞳には狂気を宿した―――女。 チロリと覗いた舌が、紅い口唇をなぞる。煽情的にも見えるその仕草は、しかし沖田の目には舌なめずりをしたかのようにしか映らなかった。まるで、丁度良い玩具を見つけたかのような――― そんな沖田の思考を裏付けるかのように、女はクスリと笑みを漏らす。心底楽しそうな、それでいて嘲るような、それは歪んだ笑みを浮かべ。 カンッ、と下駄が床を踏み鳴らす硬質な音が再度響く。 次の瞬間には眼前へと振り下ろされていた刃を、沖田はどうにか受け止める。 もはや頭で考え、判断していては遅い。目の前の女の武器は、その手に持つ刀ではない。そのスピードだ。音を、空気の動きを、全身で察知し、反射的に動かなければ、その攻撃を凌ぐ事などできはしない。 これでは、並大抵の人間は当然ながら、ある程度腕に覚えがある人間も敵わないだろう。沖田ですら舌を巻くほど、女の動きは早く、そして、予想外だ。 型など無視したその剣技は我流だろうか。それ故に太刀筋は読みにくく、そのスピードと相俟って防ぐだけで手一杯だ。反撃の隙を窺おうと距離をとっても、すぐさまその距離を詰められ斬りかかられる。 白い着物の裾がふわりふわりと揺れ、その顔にはニタリと笑みを浮かべたまま。彼女が『死神』と呼ばれる理由がよくわかる。 「一体、何者なんでィ」 口から零れ出たのは、脳裏に浮かんだ疑問。 それは思わず口に出してしまっただけであり、それに気付いた沖田も、その回答を求めて得られるとは到底思っていなかった。 そもそも、この『死神』と会話ができるのか。 しかし意外にも、沖田の呟きに女はぴたりと動きを止めた。そうは言っても、剣先はこちらに向けたまま。歪んだ笑みも狂気じみた瞳もそのままに。 「私の事が知りたいなら、まず自分から自己紹介したら?」 クスクスと笑う女は、隙だらけのようでいてまるで隙など見当たらない。 気違いじみた暗殺者の言葉は、しかし普通であれば真っ当な部類である。ただ、今の場合、発した人間が真っ当ではないだけだ。 首を僅かに横へと傾け可笑しそうに笑う女は、隙こそ見当たらないが、気紛れを楽しむかのように斬りかかってくる気配は無い。 一瞬でいい。一瞬でいいのだ。 その隙さえあれば、逆に沖田から斬りかかることができる。 速さに関しては、口惜しいが負けを認めざるをえない。しかし単純な力関係、技量ならば、沖田の方が上なのだ。一瞬の隙を突くことさえできれば、勝てない相手ではない。 隙を探るべく、沖田は殊更ゆっくりと言葉を紡ぐ。 「―――真選組一番隊隊長、沖田総悟」 それは、ただ名乗っただけだった。 自惚れでなく、真選組最強として世に広まっているこの名。顔は知らずとも名だけは聞いているといった輩も多い。 外見とは裏腹の『最強』の肩書。信じようと信じまいと、その名が一瞬なりとも驚きを与えられることは事実。果たして、目の前の死神にそれが通用するかどうかは疑わしかったが。 しかし、女の反応は予想以上のものだった。 コクリと首を横に傾けたまま、口元も歪んだ笑みのまま、刀の切っ先をこちらへと向けたまま―――女は固まっていた。ただその瞳の中に、動揺だけを走らせて。 どういうことなのか。散々世に恐怖を与えてきた暗殺者が、今更、真選組を恐れるものなのか。 疑問に思うのは後回しだった。 不意にできた最大の隙。これを逃す沖田ではない。手の内の柄を握り直すと同時、足を踏み出す。 「死ねェェェ!!!」 響く怒声。 しかしそれは沖田の声ではなかった。 突如として開いた扉から出てきた天人二人。その扉の向こうが屋敷の主の部屋であることを考えると、この天人は当然、主の護衛といったところだろう。 その二人が沖田と女の間に飛び出し、尚且つ、女の後ろから、更に天人が二人。女を挟みうちにした格好となる。 ―――それは、一瞬の出来事だった。 隙を見せた女を突如として囲んだ天人四人。だが、囲まれたと思った瞬間には、彼女は姿を消していた。 いや、正確には姿を消したわけではない。いくら死神と呼ばれようとも、女は人間だ。そんな芸当できるはずがない。 彼女がやったことは単純だ。真上に跳んだのだ。何の反動も無く、カンッ、と既に沖田の耳に馴染みつつある音を立てて。 跳ねた先にあるのは、当然のことながら天井。到達する前にくるりと身体を回転させると、更にその天井を蹴りつけて後ろから迫っていた天人の更に背後へと下り立つ。 そのまま間を置かず、手にしていた刀で目の前の二人を薙ぎ払った。 おそらく斬られた二人は、何が起こったかまともに把握できてもいなかっただろう。力を失い倒れるその身体。その斬り口から溢れた血が、女の着物を濡らす。 「っ、貴様ァァァ!!」 我に返った残り二人が襲いかかるも、それが無駄でしかないだろうことは、沖田にもわかった。 いくら屈強な天人であれ、彼女を―――『死神』を殺すことなど、できはしないのだ。 事実、彼女は瞬時に間合いを詰め、一人にはその勢いのままに刀を突き立て、もう一人には同時に喉元へと銃を突きつけ。 ニタリと、嗤った。 無情な銃声が響き、天人の身体が崩れ落ちる。 天人が現れてから、時間にして十秒経ったかどうか。 何事も無かったかのように、女は最初と同じ表情で得物を沖田へと向けてくる。ただしその手の内にあるものは、刀から銃へと姿を変えていたが。 たった十秒で複数の敵を沈める手際の良さ。スピードだけでなく咄嗟の判断力も相当なものだ。天人二人に向かって間合いを詰める瞬間、腰の後ろから銃を取り出していたのを、沖田は見逃さなかった。 だからと言って、この状況が覆るわけでもないが。 あぁ、死んだな。 目の前の現実に、沖田は淡々と悟る。 互いの手の内にある得物を比べれば、その事実は明らかだ。刀と銃。他の人間ならともかく、女のスピードを以って距離をとられれば、間合いを詰めるよりも先に撃たれるであろうことは目に見えている。 かと言って、はいそうですかと大人しく殺されてやるつもりもないが。 撃たれても、避けることができれば、逆にこちらが有利になる。死ぬのだとしても、せめて可能性に賭けて足掻いてみせようか。 再び柄を握り直し、沖田はタイミングを図る。 そんな沖田を前に、女は歪んだ笑みを浮かべたまま。 「―――ごめんね、そーちゃん」 今度は、沖田が動きを止める番だった。 女の言葉は、十分な衝撃を以ってして、沖田の身体を雁字搦めにし、自由を奪い取る。 今にもクスクスと笑いだしそうなその表情で、謝罪の言葉など薄っぺらく無意味だ。 意味があるのは謝罪の言葉などではない。 自分のことを『そーちゃん』などと呼ぶ人間は、限られている。姉のミツバ。そして――― 「……?」 歪んだ笑みも、狂気じみた瞳も、変わらぬ表情のまま。沖田の呼びかけに、一筋の涙が彼女の頬を伝い落ちる。 返答は無い。けれども、この場合の沈黙は肯定の意であろう。 動けなかった。未だ現実が信じられず、向けられた銃口も、引き金が引かれる瞬間ですら、まるで他人事のように映っていた。 脳裏を占めるのは、死への恐怖などではない。幼い頃に離れ離れになった、幼馴染の姿。そして、疑問。 何故、こんなところに。 何故、こんなことを。 何故、が。 なぜ。 どうして。 何が。 何が、をこんなモノにしてしまったのか――― 響く銃声。 痛みよりも、撃たれた衝撃よりも。 幼い頃の面影がわずかに残る幼馴染の歪な泣き顔に、沖田の心臓は苦しいまでに締め付けられた。 結果を見れば、護衛対象であった天人は殺されなかった。 どうやら部屋の前でバタバタと乱闘している間に、隠し通路を使って逃げ出していたらしい。 どれだけ恐れ戦いても、「人間如きに狙われて逃げ出した」などと悪評を立てられるのを嫌って屋敷に留まっていたのだが、目の前に迫った死神の足音に、自尊心も何もかも投げ捨てたようだ。 そんなことは沖田にはどうでもいい話である。 あの時。死神が―――が引き金にかけた指を引いた瞬間。 沖田には、避ける気はまるで起きなかった。正確には、避けるという行為が、反射的にすら起こらなかったのだ。 けれども、撃たれたのは右肩だった。確かに腕は動かし辛いが、命に別条が無いのは勿論、治れば腕を動かすことにも支障はないようだ。 あの至近距離で的を外すはずがない。ならばが狙ったのは、最初から右肩だったということになる。 利き腕の側の肩をやられたのだ。これではしばらく、まともに刀を振るう事はできないだろう。戦力を削ぐという意味では、理に適っている。 けれどもそれは、今まで出会う全てを例外なく殺してきた『死神』の理には適っていない。 殺せたのに、殺さなかった―――いや。殺せ、なかったのか。 あれから数日経った今でも、の行方は杳として知れない。 世間で死神とも殺戮人形とも呼ばれる暗殺者がまさか成人にすら達していない少女だと、誰が思うだろうか。 これまではそれで逃れてきたのかもしれない。けれども正体が明らかになった今でさえ逃げ果せている現状からして、の背後に何者かの影があるのではないかと沖田は思う。 裏で糸を引いている、誰か。 「―――くそっ」 ついた悪態は、へ対するものか、その背後にいる者へか。それとも何もできず手をこまねいている自身に対するものなのか。沖田にもわからない。 ただ確かなのは、右肩の疼くような痛みと。 脳裏から離れることのない、歪んでしまったの涙――― → 「からくり卍ばーすと」聞いてたら、何かこんなものが書き上がりました。 設定とか無駄に作ってにやにや妄想して、書き上がってみれば設定の半分も出してないことに気付きました。 まぁ、そんなものですよね。 ('11.06.12 up) ![]() |