どこか遠くから声が聞こえる。
暗がりの中聞こえるそれは、どこか覚えのあるものだ。
 
(ああ、神楽ちゃんの声……)
 
辿る記憶の先にいたのは、小さな女の子。
留守がちな父親と、病弱な母親。唯一、兄を頼るべく神威について回っていた少女。
「弱いヤツに興味はない」と、哀れな妹を邪険に扱っていた神威に腹を立て、殴りつけていたのは日常茶飯事だったことを思い出す。
思えば神威は、家族に対してすら血も涙もなかった。
それこそが夜兎族本来の姿だと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。けれどもにはそれが納得できなくて、よく言い争っていた。と言うよりも、の方が一方的に突っかかっていた。
そんなロクデナシに、どうしてついていった挙句、お守りまでしてしまっているのだろう。今でもふと思わずにいられない。
けれども、どんなロクデナシであろうとも、の話を否定しなかったのは神威ただ一人だったのだ。
青い空を見たいと。色とりどりの花を見たいと。夜兎族には許されないそのささやかな願いを否定しなかったのは、それどころか「つれていってあげる」とまで言ってくれたのは、神威だけだった。
たとえその言葉がその場限りの戯言だったのだとしても。
嬉しかった。ただただ嬉しかった。
そう。きっとあの日から、神威のことを―――
 
「―――んなワケあるかァァァ!!!」
 
思わずツッコんだら、目が覚めました。
 
 
 
 
ゆめみるうさぎ 2 〜終末世界に傘を差す〜



 
目を開けているのに視界が薄暗い。
疑問に思うも、すぐに鼻の上に違和感を覚え、邪魔だなぁとサングラスを取る。
クリアになる視界に満足する間もなく、やはり息苦しくて邪魔臭いマスクを取り、暑いとばかりにフードもマントも脱いでしまう。
これでようやく落ち着いたとばかりに息を吐けば、目を見開いている人物と目が合った。
 
「―――ってか、ここどこ? あんた誰? 敵? 殺していいの?」
「気付くの遅くね!? って言うか殺伐としすぎだろ!!」
 
臨戦態勢をとるのはもはや本能。
いつも手元にあるはずの傘が無いことに疑問を覚えたのも束の間。目の前に突きつけられたのは自分のものとは違う傘の先端。だが感じるのは殺気というよりも警戒心。
傘から視線を外して、その持ち主へと目を向ける。そこにいたのは、敵意を隠そうともしない少女。白い肌に赤いチャイナ服が映えている。そして何より、夜兎族特有の番傘。
 
「お前、何者アルか。夜兎族がこんなところまで何の用―――」
「神楽ちゃぁぁぁんっ!!!」
 
その言葉を遮るようにして、は少女―――神楽へ抱きついた。
向けられた傘も警戒心も、すでにの意識には引っかからない。重要なのは唯一つ。可愛がっていた妹分が、何年かぶりに目の前に現れたという事実だけだ。
 
「大きくなったねぇ! 今いくつだっけ? ああでもほんと大きくなって! 可愛くなったし! 昔から可愛かったけど、ますます可愛くなったねぇ。お姉さんは嬉しいよ。って言うかなんで神楽ちゃんがここにいるの? 運命? これって運命だよね! やっぱり神楽ちゃん私の妹になりなよ!!」
「この微妙にウザい感じ…アルか!?」
 
ぎゅうぎゅうとを神楽抱きしめ捲くし立てれば、どうやら気がついたらしい。
喜色と毒と入り混じった声に、更に嬉しくなっては神楽を抱きしめる腕に力を込める。
しかしそんな再会の喜びも束の間、「ああ、そうだ」と思い出したようには言葉を続けた。
 
「結局、アレ誰? 殺していいの?」
をスクーターで撥ね飛ばした犯人ネ。殺されても文句言えないアル」
「オイィィィ!!? 神楽まで何言っちゃってんの!? 大体、いきなり車道に飛び出してきたのはそいつだろうがァァァ!!」
 
慌てて口調荒く反論してくる男へと、はちらりと視線をやる。
一見するとだらしないだけのその男。けれども―――強い。そんな『匂い』がする。根拠のないそれは言ってしまえば『勘』以外の何物でもないのだが、それでもが相手の力量を見誤ったことはこれまで一度たりとてない。
戦いたいなぁ。
チロリと舌なめずりしてしまうのは、本能ゆえ。
戦闘種族である夜兎族の例に漏れず、とて戦うことは好きだ。本能的に求めていると言ってもいい。
けれども誤解されがちであるが、好きなのはあくまで『戦うこと』。決して殺すことではない。
勿論、殺戮を好む者や、そうでなくても勢いあまって相手をよく殺す者も仲間内にはいるわけだが、少なくともはそうではない。殺るか殺られるかの状況にある場合はともかくとして、だが。
ただ純粋に、強い相手と戦いたい。それがの内に流れる夜兎の血の欲求だ。
そうは言っても、これが夜兎族の特性でしかないことは重々承知している。他の種族は、別段戦闘狂でも何でもないのだ。
わかっているから、その欲求をは胸の内へと押しとどめる。
 
「ん……まぁ、撥ねられたのは自業自得だし、怒る気はあんまり無いんだけど」
「マジでか。心広いアルな」
「イヤ、普通だろ。自分で飛び出したんだから、その姉ちゃんの言うとおり自業自得だってーの」
「撥ねた本人には言われたくないんだけど」
 
それでもやはり、陽の下を無謀にも歩いていた自分の浅はかさがそもそもの原因だとわかっているから、はそれ以上を口にすることはなかった。
特に目立った怪我も見当たらないようであるし、どうやら全身着こんだ重装備が思わぬところで役立ったようだ。
あとは―――
 
 
 
―――ぐぅ。
 
 
 
「……怒る気はないけど、ご飯くれると嬉しいなぁ」
 
盛大に鳴り響いた腹の音を誤魔化すように、は苦笑した。



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('12.04.29 up)