YELLOW YELLOW HAPPY 「ごめんね。私、今は誰かと付き合うつもりはないの」 廊下を曲がろうとしたところでその向こうから聴こえてきた言葉に、土方は思わず足を止めた。 声の主に心当たりがあったからだ。 女だてらに真選組隊士として剣を振るう跳ね返り娘、。 その台詞の内容からするに、どうやら誰かから告白されたらしい。毎度のことながら女を見る目が無い人間が隊内には多いものだと土方は呆れずにいられない。 明るく茶目っ気があり常に笑みを絶やさない、と言われれば、理解できないでもない。 しかしそれは、あくまで何もかもに目を瞑りひたすらに良い表現を当て嵌めただけにすぎない。 実際には他人をからかい指差してバカ笑いすることに精を出しているだけであり、そんなの性格には苛立ちしか覚えない。 それに対しては、がからかう対象の筆頭が土方である、という事実に拠るところも大きいのだが。 だがそれを抜きにしたところで、女の身で真選組にいること自体が正気の沙汰ではないだろう。 別段、女だからと差別するつもりはない。事実、の剣の腕は他の隊士に劣るどころか、隊長クラスにも引けをとらないほどだ。 問題は、男所帯に女一人、平然と暮らしているということだ。一体どんな神経をしているのかと、土方はその精神構造を疑いたくなる。 しかし疑ってみたところで現実は変わらない。 むさ苦しい男たちの中に、一輪の花。と表現するのは流石に憚られるが、それでも紅一点。普段から女に免疫の無い隊士たちにしてみれば、それだけでは魅力的な存在に思えるのかもしれない。 それでも皆、最終的に玉砕する羽目になるのだ。今までにもは何度か告白されているようだが、付き合った例は一度たりとて無い。 結局のところその言葉通り、今のは誰か男と付き合うつもりはさらさら無いのだろう。 それはそれとして、このままでは出て行きにくい状況に変わりはない。時間を置いて出直そうと、踵を返しかけた時だった。 「―――違うんじゃないですか? 他に好きな男がいるから、なんでしょう?」 「……なんでそう思うの?」 「わかりますよ。いつも貴女のことを見ていたんですから」 思わず煙草を口から落としそうになるほど、その言葉は土方を動揺させた。 いや。言葉というよりも、が否定しなかったという事実が、と言うべきなのかもしれない。 あのに、好きな男がいる。 もちろんとて年頃の女なのだから、好きな相手の一人や二人いたところで至極当然、別段不思議なことではないはずだ。 だが―――だが、どういうわけだか、その当然であるはずのことが、実に気に入らない。 一体相手は、どこの誰だと言うのか。 自分には関係の無いことだと理性が嘯いたところで、その相手について聞き出さなければ気が済まないという感情も知らず湧いて出る。 胸の内で対立する二つの感情。それに対して折り合いをつけられずにいる間に、どうやら話は終わっていたらしい。 こちらへと向かってくる足音が一つ。こんな時だと言うのに軽やかさすら感じられるその足音がどちらの人物のものかなど、考える暇も無い。そんな暇があれば、葛藤と動揺を押し隠すことへと全力を注ぐべきだ。 「あれ、副長。いたんですか」 「悪ィかよ」 驚いたように見開かれたの瞳に、今の土方はどのように映っただろうか。果たして動揺を押し隠した努力は報われたのか。 しかしも、それを悟るどころの心境ではなかったのだろう。彼女にしては珍しくもバツが悪そうな面持ちで視線を逸らす。 「あの……聞かれちゃいました、か……?」 「あ?」 「だから、その……好きな人、いるって……」 言いよどみながら頬をうっすらと染めるの姿は、これもまた珍しいものだ。 普段からは想像もつかないその所作だけ見れば、確かに年頃の恋する娘そのものだ。 可愛げすら感じられる姿に、しかし苛立ちしか感じられないのは何故なのか。できるものならにこのような表情をさせる男を今すぐ捕まえて殴ってやりたいところだ。 先程から込み上げてくる感情と衝動を自身でも持て余し、それを誤魔化すために土方は煙草の煙を深々と吸い、吐き出す。持て余している全てをいっそこの煙と共に吐き出せたらと、そんなことすら思いながら。 「聞いたが、俺には関係ねェ事だろ」と吐き捨てるように言ったものの、心境は180度真逆のところに存在している。 だが動揺を悟られないようにするという目的は達成できてはいたらしい。 どうでもいいと思っているような口調をそのままに受け止めたは、目を瞬かせて再び視線を土方へと戻す。 「でも、気になったりとかしません? 相手のこととか……」 「俺が気にしてどうすんだよ。敢えて気にするなら、そうだな……同情してやるよ。てめーなんかに惚れられた、その男に」 存外、平静な素振りというものは簡単にできてしまうらしい。 これも普段からポーカーフェイスを心がけている賜物かと、土方は自分のことながら喝采したくなる。 軽口を叩きながら、同じ事を自身にも言い聞かせる。 そう、気にしてもどうにもならない事なのだ。いっそ忘れてしまえばいい。聞いたことすべてを忘れ、普段と変わらぬ態度をとってやればいいのだ。そうすればも普段通りの姿に戻り、そのまま日常へと戻るはず―――だというのに。 だが軽口を叩かれたの表情が晴れることはなかった。それどころか切なげに歪む表情。たった一瞬、それでも土方の脳裏にの切なげな表情が焼き付けられるには十分な時間。 瞬時に浮かべられた笑みは、が常日頃から他人をからかう時に見せるもの。それでもその瞳が今にも泣き出しそうに潤んで見えるのは―――きっと、土方の気のせいではない。 「同情、するんですか……? でも自分に同情するのって、なんか虚しくないですか?」 「は?」 「だって……だって、副長、なんですよ? 私の好きな人、って……」 濡れた瞳で切なげに訴えられて。 思いもかけないの表情と言葉に、今度こそ土方は煙草を落とす羽目になった。 落ちた煙草を反射的に踏み潰した際に走った微かな熱と痛みも、もしかしたら焦げ目が付いてしまっているかもしれない床のことも、気にする余裕などありはしない。 の真っ直ぐな瞳、そしてその口が紡いだ言葉。 ただそれだけが土方の脳内を占有し、他の何をも受け付けない。 痛いほどのその視線から逃れることも叶わず、かと言って返答をするための言葉も持ち合わせていない。 珍しい沈黙が、二人の間に下りる。 どれほどの時間が流れただろうか。やけに長く感じられたが、実際には数十秒経過したかどうかといったところか。 不意に空気が動く。 目の前のの表情は変わらない。変わらない、と言うのに。 「―――副長の面白顔写メ、ゲーッツ」 その変わらない表情のまま、棒読みで発せられた言葉。パシャッという機械音。いつの間にやらの手に握られた携帯電話。 土方が現実を把握したのが先か、がしてやったりとばかりにニタリと笑ったのが先か。 「しっつれーしましたぁぁっ!!」 「っ!!? テメっ、待てコノヤロー!!!」 我に返った時には、は脱兎の如くに逃げ出していた。 反射的に追いかけようとしたが、どうせ無駄に決まっていると土方は諦める。逃げたを追いかけたところで、捕まえられた例がない。 完全にの姿が視界から消え去ってから込み上げてきた怒りは、実のところ半分は八つ当たりのようなものだ。 騙され、からかわれたのだという腹立ちは、勿論ながらある。 しかしそれ以上に、期待めいたものを抱いてしまっていた自身が腹立たしい。 のあの性格はわかっていたはずだ。他人を、特に土方をからかうことにかけては、どんな労力も厭わないというフザけた性格をしていると、よくわかっていたはずだというのに。 それなのに、が見せた表情と思いもかけない告白を真に受けてしまった。 結局にからかわれる結果となり、道化そのものでしかない自身には苛立ちしか覚えない。 舌打ちして、懐から煙草を取り出すと口に咥える。それで腹立ちが紛れるわけでもないが、それでも今は煙草を吸わずにはいられない気分だ。 火をつけ煙を吸い、吐くと同時に深々とした溜息まで出てしまった。 腹立ち苛立ち後、諦め。ことに関する限り、色々と諦めた方が手っ取り早いという考え方もある。 それにしても。 仮に今のの告白が本物だったとして。一体それにどう応えるつもりだったのだろうか。 今更考えたところで詮無いことではあるのだが。それどころか癪に障る部分もある。 何せあれは冗談でしかなかったのだ。仮の事象を考えたところでそれは、まんまとの手のひらの上で踊らされているということになってしまう。 考える事を放棄し、土方はもう一度だけ溜息をつく。 しかしそれはそこで終わり。のあのふざけた性格はいつものことであり、いつまでも気に留めるべき事でもない。 一瞬、が見せた切なげな表情が脳裏を過ぎる。そんな表情もできるのではないかと、冷静になってみればそれこそからかってやりたい出来事だ。 だがその表情も、軽く頭を振って思考の外にやる。さしあたっては溜まっている仕事を片付けることが先決だ。 結局、の好きな相手はわからないまま。もしかしたらそれすら冗談なのかもしれないが、何故だかその点についてだけは間違いなく本当だと土方には思えた。 けれども関係ない―――関係の無い話なのだ。が誰を好きになろうともそれはの自由であり、土方には何ら関わりの無い話だ。 そう胸中で自身に言い聞かせると、再度溜息を吐き、土方は足を踏み出す。 割り切れない曖昧な思いを、微かにではあるが、胸の隅に抱いたまま――― <終> ポケビの曲聴いてたら書きたくなったブツ第三弾。多分これで最後。 オマケなその後というかそういったのはコチラから。 ('07.07.21 up) ![]() 「沖田隊長ーっ! 副長の面白顔写メをゲットしちゃいましたーっ!!」 「へェ―――お、なかなか愉快な顔してるじゃねェかィ。ハトが豆鉄砲食らったような。 何やったらこんな顔したんでさァ?」 「や……なんか話の展開で『好き』って言っちゃったら……」 「やっと言ったのかィ。で? 返事はどうだったんで?」 「それが、その……」 「もしかしてダメだったとか?」 「ダメというか……返事聞く前に、その写メ撮って笑いながら逃げてきちゃって……」 「……何やってんでィ」 「だって! だって!! 無理! 無理ですよ!! あの空気に耐えるのは無理ですよ!! 我慢できなかったんですよ!!! もう無理! 二度と告白なんかできない!! あんな空気、私には絶対無理!!!」 「……こりゃ、永久に告白なんか無理だねィ……」 ![]() |