鼻腔を擽る、甘い香り。
菓子類の発するバターやクリームの匂いとは異なる、むしろ花のような、控えめながらも嫌味でない程度に自己を主張する、そんな甘さ。
この室内に花など生けてあっただろうか。いや、生けてあるはずがない。それならば部屋の主たる自身が気付かないはずがない。
香りに誘われ、銀時は何となしに重い目蓋をゆっくりと開ける。
まだ朝も早い時間。布団の中が温かいのはが一緒に寝ているからだ。
時折、一緒に寝てほしいとおずおずとお願いされることがある。
それは大抵、その日の昼間一人でいた時間があった夜であることに銀時は気付いていた。
昼間の寂しさを埋めるための、なりの方法なのだろう。
あまり甘やかすのはどうかと思わないでもない。けれどもが甘えてくることなど滅多に無いどころか、逆に幼いながらに周囲を気遣ってばかりなのだ。この程度甘やかしたところで、バチなど当たりはしない。むしろ逆にもっと甘やかしてやりたいほどだ。
だが。
目を開けた先。すやすやと眠りこけているのは、ではなかった。
年の頃ならば17,8と言ったところか。あどけなさの残る寝顔からでは容易く予想もできないが、そのようなところだろう。
長い睫が寝顔に影を落とし、ぽってりとした口唇は薄っすらと開かれ、穏やかな寝息をたてている。
極めつけは、肌蹴た浴衣の、その胸元。露わになっている胸の谷間に、つい視線が釘付けになってしまう。
目の前の女は一体誰なのか。
しかしその疑問は、更なる疑問を呼び寄せただけに過ぎなかった。
よくよく見てみれば、女が着ている浴衣は昨夜が着ていたもので。まさかと思いつつ寝顔をじっくりと観察してみれば、幼げな寝顔にはの面影がある。気付いてしまえば、何故すぐに気付かなかったのかがわからないほどに、その寝顔はそのものとも言えた。
一瞬過ぎった考えを、しかし銀時は即座に否定する。ありえるはずがない。ありえるはずがないのだ。
つまるところ、これは夢なのだろう。最高なまでに都合の良い、最悪なまでの夢。
寝直そう。いや、これは夢なのだからこの表現はおかしい。むしろ現実へと戻ろう。こちらが正しい。
しかし夢にせよ現実にせよ、世の中とは非情なもの。
銀時が目を閉じるよりも先に、目の前の女がぱちりと目を開いた。
そして、花も綻ぶような笑顔。
 
「おはよう、銀ちゃん」
 
間違いない。これはだ。以外の誰でもない。銀時がを見間違えることなどありえないのだ。だから目の前にいるのはだ。これは決定事項だ。
今日は銀ちゃんの方が早起きだったんだね、と。
嬉しさだとか恥ずかしさだとか、そんな感情が入り混じったような声に確信を抱いた銀時は、突きつけられた現実に一瞬、気を遠くしたのだった。
 
 
 
 
大人と子供の理想関係 〜事実は小説よりも奇抜すぎ〜



 
いつも賑やかな万事屋。
だがこの日に限っては、常とは違った賑やかさ、というよりも喧騒が建物そのものを揺るがしかねない勢いで朝から繰り広げられていた。
とは言え、騒いでいるのは神楽と銀時の二人。もっと言えば「にどんな不埒な真似したアルか!!?」などと叫んでいるのは神楽一人。対する銀時は、そんな神楽にズタボロにされて最早声も出ない様子。
この光景に、出勤してきた新八はまず頭を抱え。
そして騒動の発端であろうに目を向けて―――硬直するしかなかった。
新八も見慣れている着物を身につけた少女。
二人を止める術がわからず、助けを求めるように新八に向けられた困り顔。泣きそうにも見えるその表情は、確かにがよく見せるものだ。
だが、目の前にいるのはどう見ても、実年齢よりも幼く見えるではない。
目の前の少女は、少なく見積もっても新八と同い年、もしくはそれ以上だろう。
まるで丈の合っていない着物の裾からは、膝から下が露わになっていて。袖もまるで足りていない。七分丈かと思うほどだ。
何より―――胸が。思わずしげしげと見つめてしまい、慌てて新八はそこから視線を逸らす。
 
「え、ええと……ちゃん、だよね……?」
 
確認のために尋ねると、目の前の少女はこくんと頷く。
あまり確定してほしくなかった事実に、新八は冷や汗が頬を伝うのを感じた。
一体何が起こっているのか、さっぱりわからない。
わかる事は唯一つ。どこか幼さを残したあどけない顔に、すらりと伸びた手足、そしていっそアンバランスかと思うほどに育った胸。これらが揃うと、何やら破壊的だという事くらいだ。
理解しがたい現実に、どう対処してよいのかわからず、新八は呆けて立ち尽くすことになり。
結局取り残される羽目になったもまた、どうしてよいのやらわからずに泣きそうになる。
だが、天の采配か、はたまた神の悪戯か。
一時停止した思考を稼動させるように、机の上の電話が鳴る。
主たる銀時は、まだ神楽に殴られている。そろそろ本気で止めないと、さすがにまずいかもしれない。
そうは思いながらも電話に出ることが先だと、反射的に新八が電話へと出る。それは雑用係としての哀しき習性だったのかもしれないが、少なくとも今はその習性のおかげでどうにか現実に戻ってこられたのだから感謝すべきなのかもしれない。
ともあれ電話に出た新八だったが―――「なっ、なんで知ってるんですかっ!!?」との叫び声に、何事かと神楽も手を止める。その下では銀時が完全にのびていたりしたが、誰もそこには気を留めない。
受話器が置かれるや、「どうかしたの?」と心配そうにが尋ねてくる。
 
「いや……沖田さんが、今から来るって……」
「どうしてあのサド男がウチに来るネ!?」
「あ。そういえば総悟くんと遊ぶ約束してたの」
 
の言葉に、のびていた銀時までもが飛び起き、三人の視線が一点に集中する。
注目されたは恥ずかしげに「あ、あのね。遊園地の券が今日までだから、一緒に行こうって……」と言い訳めいたように説明する。語尾が次第に小さくなっていったのは、銀時の表情が明らかに不機嫌極まりないことに気付いてしまったからだろう。
常であれば、そんなの心情を察して誤魔化すくらいのことはする銀時だったが、今日ばかりはそんな余裕も無い。
ただでさえの変化に思考がついていけていないというのに、そこへもってきて初耳のデートの約束。不機嫌を隠すだけの精神的余裕などどこにも存在しない。
だが、そんな銀時を嘲笑うかのように、室内に鳴り響くチャイム音。
もうやって来たのか。早すぎではないか。一体どこから電話してきたと言うのか。突っ込みたい諸々の点はあったものの、それよりも先に身体が動く。
本来であれば客を出迎えるのは新八ではあるが、最近ではも気を利かせて出ることが多い。
来客者はそれを知っていたのか。とにかく、いきなり銀時が出てくるとは思ってもいなかったのだろう。
銀時が玄関を開けた瞬間、目に入ったのは、赤いバラ。目に入るというよりも、それで視界が埋め尽くされたと言っても過言ではないほどの、真紅のバラの花束。
あまりにもな光景に、またも思考が停止する銀時。
だがそれは、来客者も同様だったらしい。ただこちらの方が、少しだけ立ち直りは早かったようだが。
 
「……なんでィ。どうして旦那が出てくるんですかィ」
「……イヤ。ここ誰の家だと思ってんのお前。って言うか何ですかコレは?」
「見りゃわかるでしょうが。それより用があるのは旦那じゃなくて―――お、!」
 
視線を銀時の背後へと投げた沖田につられて振り向くと、パタパタとが寄ってくるところだった。
その様は、どう見てもいつもの小さなではない。だと言うのに、沖田はまるで動じることなく「へェ。俺はてっきりBカップくらいと思ってたんだけどねィ」などと小声で呟いている。
さすがにには聞こえなかっただろうが、銀時の耳には確かに届いた。
態度といい、その言葉といい。そういえば先程の電話で新八が何で知っているのかと問い質していたことを合わせ考えて。出る結論は唯一つ。
 
「テメーか! テメーだろ!! 俺の可愛いに何てコトしやがったんだコノヤロー!!!」
「なら、旦那はこのが好みじゃないんで?」
「…………」
 
掴みかかったものの、冷静に切り返されて銀時は思わず言葉に詰まる。
好みか好みじゃないか。二択を提示されれば、それはもちろん好みだと言い切ることができる。
そもそもが、何よりも誰よりも愛しくてならない、可愛くて可愛くて仕方が無い妹である。この時点で好きだと断言できるのだ。
ここに、少なく見積もってもEカップ、もしかするとFカップかもしれない、そんな胸が付いたら―――これはもう、好み云々どころではない。人類最強の生き物だろう。少なくとも銀時にとってはそうだ。
たとえ血の繋がりが無いとは言え、妹に欲情しかけてしまうというのは、あってはならない事だろうに。
ぶつぶつと煩悶する銀時を他所に、やってきたに沖田は花束ともう一つ、紙袋を手渡して何やら告げる。と、それを抱えて礼を述べたはそのまま部屋の中へと引っ込むが、すぐ横で行われたそのやり取りを気にしている余裕が、銀時には無い。
最終的に「俺もも悪くねェ。元凶はコイツだよコイツ」と結論に達したところで我に返った時には、だけでなく沖田まで消えていた。
一瞬、すでにしてが連れ出されたのかと焦るが、室内から聞こえる神楽の怒声からして、どうやら勝手に上がり込まれただけらしいと少しばかり安堵する。
部屋へと戻ると案の定、神楽と沖田が取っ組み合いの喧嘩していた。部屋の隅には、そんな二人を止める事を最早放棄しているのであろう、静観している新八。の姿が見えないが、きっと奥の部屋にいるのだろう。
とりあえずは事のあらましを聞きださねばなるまい。そう判断した銀時は、掴み合っている二人を強引に引き離した。
 
「で? に何しやがったんだ、オメーは」
「好みじゃないんで?」
「イヤ。今はそういう話じゃねーだろ」
「好みじゃないんで?」
「…………好みです」
「銀ちゃんマジキモイアル。こっち近付かないで」
 
三度目の正直。
敗北宣言にも似た心情を吐露すれば、神楽が何やら汚い物を見るかのような視線を向けてそそくさと銀時から離れていく。
その態度にショックを受けないわけでもないが、しかし現在進行形で最重要事案であるのは神楽の態度ではない。の外見の変化だ。
その原因を問い詰めると、特に隠し立てするつもりもなかったらしい。沖田はあっさりと口を開いた。
 
「この前、踏み込んだ屋敷で押収した密輸品の一つでさァ。飴玉みたいな丸薬で、舐めると一定時間、数年分の年をとった姿に変わるとか」
「それどこのメルモちゃん!? って言うか押収品を個人で所有してんじゃねーよ! って言うかで試してんじゃねェェェ!!」
「試したなんて人聞きが悪ィや。単に数年後のを見てみたかっただけでさァ」
「どっちにしろタチ悪ィんだよ!!」
 
叫んでおきながら、「あと数年したらがああなんのか。大丈夫なのかよ俺の理性は。イヤ、無理だな」などと胸中で自問自答しているあたり、こちらもなかなかにタチが悪い。
気になるのは効果の持続時間だが、沖田曰く薬を飲んでから24時間ほどらしい。
 
「って言っても、効果が現れるまでに半日かかってますからねィ。実際に楽しめるのは残り半日ってことでさァ」
 
何をどう楽しむつもりなのか。
追及すべきかせざるべきか。束の間悩み、銀時は聞き流す事にした。とてもではないが我慢ならない発言が飛び出してきそうな気がしたからだ。
そういう銀時自身も、他人には絶対に言えないような事をちらりとでも考えてしまったという事実は、この際棚の上である。
 
「そ、総悟くん……これちょっと、短い気がするんだけど……」
 
すっと襖が開いて、奥の部屋からが出てくる。
その姿を目にした瞬間、戸惑ったような声で発せられた言葉の意味を理解するよりも先に、銀時は本日何度目になるかわからない、思考凍結に見舞われることとなった。
玄関先でが沖田に手渡された紙袋には、着替え一式が入っていたのだ。手渡す際のやりとりこそ目に入ってはいなかったが、事の展開からしてその衣装は沖田が用意したものだろうと銀時にも見当がつく。
奥の部屋で着替えてきたのであろうの、その身に纏った着物。
確かに、丈の合わない着物を着ているよりは余程見栄えがするというもので。その点では着替えを用意してきたその手回しの良さに感謝しないでもない。
だがそれにしたところで、この衣装はどうなんだと思わずにはいられない。
似合っていないわけではない。むしろ物凄く似合っている。このセンスを否定するつもりは毛頭無い。
薄い桃色の小振袖に、落ち着いた紅色の帯。袖の下方に白い小花が散りばめられ、帯には目立ちはしないものの地色と同系色で大輪の花が咲いている。
キュッと後ろでリボンの形に結ばれた帯。少しだけ纏められた髪の後ろからちらりと覗いているのは、同色のリボンだろうか。
着物の丈は、が言うように確かに短い―――が、街を歩く今時の十代はこんなものであろう。その代わりとでもいうか、白いオーバーニーソックスがの細い脚を包んでいる。
「やっぱり俺の見立ては間違い無かったねィ。似合ってまさァ」などと隣で自画自賛ともとれる言葉をに平然と口にしている沖田の神経が銀時にはわからない。
似合っているどころの話ではない。
褒められたところで恥ずかしいのか、顔を赤らめてしきりに裾を気にしている様は、まさに最終兵器彼女。何に対する兵器なのかはわからないが、少なくとも銀時に対する精神攻撃力は会心の一撃どころか、百発百中一撃必殺。
言葉も無く突っ立っていると、銀時の顔色を窺うような面持ちでが「これ、似合ってる…?」と尋ねてくる。
またその表情が可愛らしいものだから、銀時は質問の意味を理解するよりも前にコクコクと頷いてしまっていた。どのみち似合っているのだから肯定することに変わりはないのだが。
 
「……あれは完全に落ちてるね、銀さん」
「銀ちゃんが相手にケダモノになったらどうするネ。殺ってもいいアルか?」
「九死に一生くらいで勘弁してあげなよ……」
 
部屋の隅にいる二人の物騒な会話も、今の銀時の耳には届かない。
銀時の肯定に安堵して嬉しそうにしているへと意識が集中しているのだ。他人の言葉など入る余地が無い。
普段であれば銀時の様子がおかしい事に気付かないわけがないなのだが、落ち着いているように見えてもさすがに自分の身に起こった出来事に対処するだけで精一杯なのか。呆然とした銀時の様子に気付く気配も無い。それはそれで銀時にしてみればありがたい事だ。原因を問い質されたところで素直に言えるわけがない。
 
「あ、そうだ。総悟くん、お花ありがとう!」
「イヤイヤ。今のに比べりゃ、大したモンでもねーや」
 
沖田にしてみれば、遠回しに花よりもの方が綺麗だと言ったつもりなのだ。面と向かって可愛いとは言えても、綺麗だ、などとは何やらこそばゆいものがある。
だがさすがにには伝わらなかったらしい。きょとん、と瞬きされたが、それでもは何となく自分が褒められたのだと悟ったのか、嬉しそうに笑う。
見慣れているはずなのに、どこかが違うの笑顔。少しだけ大人びたそれもまたいいものだと、呆けた思考ながら銀時はしみじみと頷く。
が、着替える時に下に置いたのだろう花束を手に取ろうと、おもむろに屈みこんだの姿に、またもや銀時の思考は停止する。これが家電製品なら、あまりの回路停止頻度に不良品のレッテルを貼られるに違いない。
自身はあまり意識していないのだろう。裾が短い着物など着たことがないのだから、当然と言えば当然。そこまで気が回っていないのか。
屈みこんだ拍子に、下着が―――見えそうで見えない、そんなギリギリのライン。いや、見たいわけではない。断じて自ら進んで見ようというわけではない。見えるものなら見たくなる。それは男の哀しきサガなのだと。誰にともなくそんな言い訳を胸中で繰り返す。
結局下着は見えることなく、花束を活けに台所へとは行ってしまったが。見えそうで見えないというのもなかなかオツなものだと、何やら銀時は新境地を開拓したような気分に陥ってしまった。
それを察したのかどうか。
隣でぼそりと呟いた沖田の言葉が、更に銀時の理性を揺さぶる事となった。
 
「ちなみに下着は白。総レースのTバックでさァ」
「……オメーは何考えてんだァァァ!!!?」
「鼻血垂らして怒鳴っても迫力ありやせんぜ、旦那」
 
冷静かつ正確な切り返し。
確かにそれはその通りなのだが、今の銀時は最後の何か越えてはならない一線を守るために、何かの拍子で切れそうなまでに細くなってしまった理性を辛うじて繋ぎ止めている状態なのだ。至極当然な突っ込み程度で怯んでなどいられるわけがない。
故に、完全に軽蔑の眼差しを向けてくる新八の存在も、指を鳴らし臨戦態勢を整えつつある神楽の存在も、銀時の視界には入っていない。
それほどまでに意識を集中させなければ、どうにかなりそうだと言うのに。
 
「上の方はサイズわからなかったから買ってねェんでさァ」
「ちょっ、おまっ!? ノーブラ!? あの胸でノーブラってどんな犯罪させてんだよ!!?」
「なら買ってきやすか? サイズは?」
「……Fの65くらいじゃね?」
「夢見すぎじゃねーですかィ? Eの70あたりで」
「イヤイヤ。65は譲れねーよ」
 
これもまた男の哀しきサガなのか。
胸の話をされて、ついうっかり乗ってしまったのが運の尽き。
  
「どうしたの、銀ちゃん?」
 
台所から戻ってきたが、不思議そうな顔で小首を傾げている。
あどけない表情や仕種に、加わる色気。これで漫画描写ならば花でも背負っていそうだが、代わりのようにバラの花を抱えていて。
おまけについ今し方までの話題が話題だ。ついつい視線は見えもしない下着のあたりや、無防備な胸のあたりを彷徨ってしまい。結果、脆くも銀時の理性は崩れそうになる。
我に返った銀時が自身のあまりの不甲斐無さに頭を抱え込むと、さすがに心配になったらしい。が「銀ちゃん?」と再度名前を呼ぶ。
花を置いて銀時に駆け寄るの瞳は、心配と不安で一杯になっている。
というのに、銀時はと言えば間近に寄ってきた胸につい視線が行ってしまい、やっぱりこのデカさはFカップだろ、などと真剣に考えてしまう。
そんな己の煩悩に嫌気がさすものの、に心配されるのは嬉しいものがある。別に具合が悪いわけではなく、それどころかに対して土下座程度では済まされないような劣情を催してしまっているのだから、心配してもらうのも筋違いどころか罰当たり的なものだ。
それでも、にとっての一番は自分なのだという自負が銀時にはある。その感情が兄に対する親愛のものであることは構わない。とにかくが第一に想ってくれるのは銀時のことなのだ。
そして銀時もまた、一番にのことを考える。
可愛い妹であるところのが、真選組の人間とデートなどと、ただでさえ許しがたい事。その上、今ののこの姿で外を歩き回られては、どこの馬の骨に目を付けられるかわかったものではない。
断じて、外に出すわけにはいかない。
自分自身こそが最たる危険人物であるという事実を軽やかに棚に上げ。銀時は頭を抱えたまま「あー、痛ェ。痛ェよこれは。死にそうに痛ェよマジで」などと口にする。銀時の体調が悪いとなれば、は心配して自分に付きっ切りになるだろう。そう踏んだ上での銀時の芝居だ。
明らかな棒読み口調だったはずなのだが、あっさりとは信じ込んだらしい。おろおろと「大丈夫? あんまり大丈夫じゃない?」と今にも泣き出しそうな表情を見せる。
本気で心配しているを騙している事に関しては良心が咎めないと言えば嘘になる。だが良心より優先してでも、の身の安全が第一なのだ。
どう見てもくさい演技だとしか思えない銀時の思うところを、沖田もまた察した。
察したところで当たり前のように無視するところだが、今回はが絡んでいる。真っ赤な嘘をは信じきっているのだ。そして本気で銀時の事を心配している。
ここでその嘘を暴露する事は簡単だが、それをに信じさせるのは難しいだろう。の信頼の度合いは、銀時と沖田では比べ物にならないはずだ。
そして銀時の心配をするは、遊園地どころの話ではないだろう。
大人しく手を引くことに決めた沖田は、こっそりと溜息をつく。残念なところではあるが、なかなかに面白い物が見られたから良しとしよう。そんな心境か。
 
「それじゃ、遊園地はまた今度機会があったらにしようかィ」
「あ……ごめんね。総悟くん。せっかく誘ってくれたのに……」
「どうせ貰い物だったからねィ。代わりと言っちゃあ何だが―――
 
手招きされて、何の疑問も抱くことなくは沖田に近づく。
それはそうだろう。いつも優しくしてくれる友達という認識なのだから、危機感を持つ方がどうかしている。
だから腕を引かれてもとりたてて慌てるほどのことも無かったし。更に言えば、そのまま頬に口唇を押し当てられたところで、大騒ぎするほどの事件でも無かった。ただやはり少なからず恥じらいが生じたのか、ほんのりと頬を赤く染めはしたが。
 
―――これで我慢しときまさァ」
「何してんだテメーはァァァ!!?」
「死ねやこのガキィィィ!!!」
 
はにかんだ笑みを浮かべるとは対照的に、突如として湧き立つ外野。つまり銀時と神楽。
引っ手繰るようにしてを銀時が引き寄せたのと、怒り心頭に来たらしい神楽が沖田に向かって躍りかかったのは、ほぼ同時か。
2ラウンド目の開始のゴングが高らかに鳴ったような気さえしたが、そんなことは銀時の知ったことではない。何より大事で優先すべきは腕の中に収まっているの存在なのである。
そのは目の前で繰り広げられる二人の取っ組み合いにおろおろしていたが、あれは喧嘩するほど仲がいいってヤツだ、と銀時が諭すと「そうなんだ」と素直にその言葉を信じている。
実に素直で可愛い。これほど素直なのは今の世の中では天然記念物並の存在だろうと思わないでもない。
そしてこの素直で可愛くて心優しい妹は、大層兄思いなのだ。銀時の方が申し訳ないと思ってしまうほどに、は銀時に素直に懐き、信頼し―――そして心配する。
 
「銀ちゃん。もう痛くないの?」
「……い、痛ェ、イタタタタ」
「お腹も痛いの!?」
 
の何気ない問いかけに思わず腹を押さえて芝居を打ってしまったものの、そういえばさっきは頭を押さえていたのだということに気付いた時はすでに遅し。
素直すぎるは何の疑問も無く信じたらしいが、おかげで銀時は頭痛と腹痛に襲われている病人と見なされてしまった。
そして人一倍他人に気を遣うが、それを放っておくわけがない。
「寝てなきゃダメだよ!」と銀時を奥の部屋に引っ張っていき、まだ敷きっ放しだった布団の中へと問答無用で押し込んでしまう。
普段のからは考えられないような力と強引さ。抵抗する間も言い訳する間もなく、銀時は寝かしつけられていた。とはいえ、今更どんな言い訳もしようがないのだから、大人しくに従うしかない。でなければ嘘がに知れてしまう。
せめてもっとマシな嘘でを引き止めればよかったなどと思ったところで後の祭り。そもそも咄嗟の嘘で、それほど上出来なものが口から出せるとはとても思えない。ひとまずは目的を達成できただけでも良しとすべきなのだろう。
は銀時の横に座り込み、「ご飯、食べられないくらい痛い? どれくらい痛い?」などと本気で心配している。
騙していることに関しては気が引けるが、これもの身を守るためだと言い聞かせ、良心を黙り込ませる。あって無いような良心ではあるが。
ともあれ、このまま横にいる限り、は俺のもの―――もとい、の身の安全は確保されたわけだ、と。誰が聞いているわけでもないのに、己の胸中を慌てて訂正する銀時。
だが、安堵は束の間のことでしかなかった。
 
「うおっ!!?」
「うわぁっ!!!」
「ぐぁっ!!?」
「……え?」
 
悲鳴と呻き声と、間の抜けた声。
何かが部屋の中に飛んできたかと思えば、物がぶつかる派手な音と声。の目の前には、打ち付けたのか額を押さえる沖田と、完全に目を回している新八。二人の下敷きになって白目を剥いている銀時。
突然の出来事に、一体何が起こったのかとは首を傾げるしかない。しかし問い質す暇もあらばこそ。腕を引かれ、の意識はそちらへと向かう。
の腕を掴んでいるのは、万事屋にいる残り一人。神楽。
 
「男共は男同士の話があるらしいネ。邪魔するのは野暮ネ。、私とこっちの部屋に居るアルヨ」
 
そう言いながらも三人に向かって蔑んだ目で唾を吐きかけている神楽の言葉は、誰が聞いたところで疑問の一つくらいは抱きそうなものなのだが。
相手は、疑うことを知らないである。素直にその言葉を信じ「そうなの? それなら邪魔しちゃダメだよね」と頷いている。
確かに素直で優しくて可愛いのがなのだ。だがその相手は自分限定になるように育てられなかったのかと、銀時は何かを恨みたい気分に陥る。もしその思いを口に出していたならば、そんな器用な事ができるものか、などという至極冷静な突っ込みが新八あたりから下されていたであろう。
しかし今求めているのは突っ込みなどではない。求めているものは―――は、神楽に腕を引かれるまま素直に立ち上がり、「じゃあ何か用があったら呼んでね?」との言葉だけを残して部屋を出て行ってしまった。
部屋に残されたのは男三人。色気も無くムサい事この上ない。
 
「なんでィ。チャイナ娘の一人勝ちかィ」
「まぁ、銀さんに預けるよりは余程無難ですけどね」
「違いねーや」
「……オメーら、いつまで人の上で喋ってんだよ」
 
下から発せられたぼやき声に、しかし沖田も新八もそ知らぬ振り。
望んだ展開ではないとはいえ、今のを銀時と一緒に居させてはならないと。その点に関しては暗黙のうちに了解しているらしい。銀時の上に乗ったまま、世間話まで始める始末。銀時がどれほど喚こうとも頼み込もうとも泣き落とそうとも、二人共に聞く耳を持たない。
結局、薬の効果が切れてが元の姿に戻るまで、銀時はから徹底的に隔離され。
 
かくしての貞操は、無事に守られたのだった。



<終>



10万HIT記念リクで「主人公が朝目覚めたら、いきなり16〜18歳に成長していた、という話」でした!
ノリノリで書いたら……あれ? 何この長さ。
これでも削ったんですけどね。遊園地デートとか。そこまで書いたらもうキリが無いって思ったので。
成長したら巨乳ってのは、まぁ……アレです。普段とのギャップ萌えなんですよ。私にとって(笑)
数年分の成長って、またえらく中途半端な感じですが、あまり年齢はっきりさせたくなかったので……苦肉の策と言いますか。