文化祭の国のアリス 文化祭というものを盛り上げるのは、学生たちである。 更に正確を期すならば、女子学生の、更にその一部が中心となって、気が乗らない他の生徒をたきつけて盛り上げている。 そんなわけで、盛り上げにはまったく関知しない役どころである教師―――銀魂高校3年Z組担任の坂田銀八は、どんな些細な助言をするでもなく、上の空でロングホームルームの様子を眺めていた。 これだって実は正確ではない。これも正確を期すならば、銀八はただ漫然と教室内を眺めていたわけではない。その視線の先には一人の少女。Z組の生徒にして銀八の恋人である、が座っていた。 今日も可愛いなぁチクショー、などと、最早日課になっている思考を飽きもせずに繰り返しながら、銀八は少女を見つめる。 しかし彼女の視線は、当然ながら銀八に向いてはいない。現在のホームルームの進行役であるお妙へと向いていた。それは至極当然の話であり、銀八としてもわかってはいるのだが、それでも「ちょっとこっち向いて笑ってくんねーかな」とか思ってしまうわけである。 「―――で、今回、文化祭におけるZ組の出し物は演劇で、演目は『不思議の国のアリス』なんだけど……文句ないわね?」 教壇でにこやかに口にするお妙は、口調こそ穏やかではある。 しかしZ組の生徒の中に、反論できるような者はいなかった。反対意見など許さないと言わんばかりのオーラが、お妙の背後に漂っていたからだ。そしてお妙の恐ろしさは、Z組の生徒であれば、誰もがよく知っている。 半ば強引に自身の意見を押し通して満足なのか、お妙は相変わらず本心の読めない笑みでてきぱきと段取りを決めていく。勿論それは最初から考えていたからこそ、できることなのだろう。そして考えていたということは、やはり最初から反対意見を受け付ける気など毛頭無かったということだ。 女ってのは恐ろしいイキモノだね、と半ば呆れながら、でもは可愛いけどな、と銀八は胸中で一人頷く。銀八にとって、世間の女がどれほど恐ろしかろうとも凶暴だろうとも理不尽だろうとも、そんなことはどうでもいいのだ。自分の可愛い恋人である可愛いが可愛ければ、それですべての問題は解決するのだから。と、銀八は真剣にそう思っている。 そのも、相変わらずの笑顔でお妙を見ていた。可愛いなぁ、と、このロングホームルームに入ってから何度目になるか知れない「可愛い」を連呼したところで。 「出演者と各裏方の人数の割り振りは以上よ。ちなみに出演者の配役はもう決めてあるわ」 やはりにこやかに言い放つお妙に、反論する猛者はやはりと言うか、現れない。 そんな無茶な、とは誰もが思ったことであろうが、しかし同時に、お妙に反抗してはタダでは済まない、とも考えたのだろう。故に、何も言わないというのは実に正しい選択肢だと言える。 かく言う銀八も、お妙のやり方は強引に過ぎるとは思ったが、事勿れ主義万歳、とばかりに口を挟もうとはしない。君子危うきに近寄らず、近寄るならの傍がいい、と、結局その思考は愛してやまない恋人へと戻っていく。 しかし、そのがにこにこと前を向いていたのは、この時までだった。 「主人公のアリスは、ちゃんね」 「―――ええぇっ!!?」 一拍置いてどよめく教室内。その中でも一番大きな声を出していたのは、他の誰でもない、指名されただった。 普段は大人しいにしては珍しいほどの、大声。だからこそその驚きも量り知れようというものだ。 主人公という、美味しい役どころ。不満のある女子生徒がちらほらと不平の声をあげたが、お妙の一睨みによってそれは黙殺されることとなった。やはり女は恐ろしい。 その中でだけは、どうすればいいのかとおろおろしている。その様子がまた小動物じみていて可愛いと言ったらありはしない。 神楽などは「ならやれるネ!」と言い放っているが、当の本人はまるでそう思っていないだろう。いつでもどこでも目立たないのが一番、とでも思っているような少女だ。いくら文化祭の演劇とは言え、主役など考えたこともなかっただろう。 不意に、縋るような視線を向けられて、思わず銀八はどきりとさせられる。 もしかしなくとも、これは頼られている。確実に頼られている。どうにかしてほしいと、その視線が訴えている。 可愛い可愛い恋人のお願いだ。これは是非とも聞き届けてやるべき。普段であればそれは当然の理であるのだが――― 「先生も見たいですよね? ちゃんのアリス姿」 「ハイ。見たいです」 即答してしまった。 お妙の有無を言わさぬ問い掛けに、考えるよりも先に頷いてしまった。見たいものは見たいのだ。仕方がない。いくら可愛い恋人が絶望的な表情を浮かべようとも、その可愛い恋人のアリス姿が見られると言うのであれば、そこは頷いてしまっても仕方がないと思うのだ。何せアリスだ。エプロンドレスだ。アリスプレイもいいな、と銀八はちらりと思う。文化祭が終わったら衣装は担任権限で回収してしまおうか。 結局、主役が自分に決まってしまったことでは落胆。銀八はアリス姿の恋人を想像して上の空。そんな二人は当然の如く無視して、次々とお妙が配役を決めていく。チェシャ猫にキチガイ帽子屋、三月ウサギに眠りネズミ―――生徒らの不平不満などお構いなし。 一通り決まったところで、ホームルーム終了まであと5分と迫ってきた。時間配分まで素晴らしい。すべて計画通りなのか、やはり女子とは恐ろしいものだと銀八が一人頷いたところへ、不意に生徒の一人から「アリスが追いかける白ウサギは誰がやるの?」と質問があがった。 白ウサギ。アリスが不思議の国へと入り込む要因となる、重要な役割。言われてみれば、白ウサギの役は誰にも振っていなかった。 お妙自身がやるつもりなのかと考える銀八に目を向けたのは、他ならぬお妙だった。 「白ウサギの役は、先生にお願いしようと思って」 「は?」 予想外の展開に、思わず咥えていた煙草を落としそうになった。 寸でのところでそれは阻止したが、それはともかくとして、お妙の口にした言葉の意味を理解するのに、銀八は時間を要した。 今の話し合いは、文化祭の劇の出演者についてだ。文化祭というものはつまり、生徒の自主性を尊重するというのが建前の、実質生徒任せの放任イベントだ。少なくとも銀八にとっては。 そこで何故、自分の名前が出てくるのか。しかも、劇の出演者として。 「先生にぴったりだと思うんです。アリスに会うたびに『好きです。愛してます』って言いながら抱きつこうとしたり追い回したりする白ウサギなんて、先生以外に誰がいると思ってるんですか」 「イヤ、ちょっと待て」 「お妙さーんっ! 俺は」 「煩い黙れ死滅しろゴリラ」 手に持った黒板消しをお妙が近藤の顔面めがけて投げつけたのはさておいて。 これはどこから突っ込めばいいのか、銀八は頭を悩ませる。 まず第一に、白ウサギの台詞にそんな甘ったるいものがあったとは到底知らない。あまつさえ、白ウサギがアリスを追いかけては、話が逆になってしまう。白ウサギはアリスに追いかけられる側のはずだ。 そして、そんな役の一体どこが自分にぴったりなのか、その点を主に問い詰めてみたいところだ。少なくとも銀八は、に対して会うたび『好きだ』『愛してる』だの言ったり、抱きついたり追いかけたりは――― 「……イヤ。でもそれは俺の責任でなくて、が可愛すぎるからであって」 とりあえず、思考はそこで止めることにした。 ともあれ、仮に適役であったとしても、教師が文化祭の出し物に出るなど、聞いたこともない。教員は教員で出し物を、というのであれば話は別だが、クラスの出し物に出るなど。しかも何やらストーカーめいた白ウサギなど。 断固として、拒否すべきなのだが。 しかし今までの経緯からして、反論したところでお妙が簡単に引き下がるとはとても思えない。 困って視線を巡らせたところで、目がバチリと合ったのは、アリス役に決定してしまった。その顔に浮かぶのは、アリス役に相応しく可憐な笑み。 「私、先生以外の人に追いかけられるの、やだな」 「ハイハイ! 俺やります! 白ウサギは俺の役! 追いかけていいのは俺だけ!!」 の言葉が、先程銀八が自分のことを庇ってくれなかったことに対する意趣返しであるとは露知らず。 ―――かくして、銀魂高校文化祭における3年Z組の出し物は、担任まで参加しての演劇「不思議の国のアリス」 ワンダーランドに迷い込んでしまうのは、アリスか観客か、はたまた他の誰かなのか。 → 上演 銀八先生の頭にウサギ耳があったら萌えるだろうか。イヤ、なんか無理っぽい。 「ハートの国のアリス」の設定見て、そんな妄想したところから発展した話です。 続きますが、元ネタはほぼ関係ありませんので、あしからずご了承くださいませ。 ('10.05.09 up) ![]() |