60進法成立に関する新視点

 

                    岐阜県 富田学園

                          岐阜東高校 亀井喜久男

 60進法の成立と発展の理由、根拠は謎があって面白い。わたしは原始ピタゴラス数に関連してこの話題にのめりこみました。数学の成立にもかかわっていて研究の価値ありと考えます。話題の種として紹介します。数学の面白さを感じさせてくれる材料です。授業のアクセントに役立ちます。

 60進法の成立の理由として今までの説

1.約数が多い。多くのの数で割り切れる。

2.一年約360日 これは1月約30日の12ヶ月。祭り5日6日をたして1年。この360の6等分が60である。全周角360はここからきた。

3.10進 20進 12進 の共通の倍数。

4.2つの部族の重さの単位が丁度60倍の比だった。

5.木星の公転周期12年 土星の周期30年の公倍数。が主な理由として知られています。決定打に欠けるという印象がありました。エジプトひもと関わって約30年、ついに新説が一気に見えてきました。

2組の時間の基準と長さの基準が一緒になって誕生発展したということです。

1辰刻(星座ひとつ分の太陽移動時間)と 1ダンナDANNA(1ミレアともいう)

1太陽円盤(太陽や月の円盤ひとつ分の 太陽または月の移動時間)と 1スタディアン

上と下の比が非常に都合よく60:1であったからである。

 時間が60進法であるのは古代の時間測定の自然基準の代表2つの

大きさの比が60対1であったからだった。

それと組になって長さが定められたので長さも60進法になった。

約数の多さ、割り算のしやすさ及び 天体の運行(太陽、月、地球、木星、土星) さらに6015,20,25, 10,24,26 2つのピタゴラス三角に分割できるという特性などもあって、定着し発展してきた。何度も10進法への脅かしを受けながら生き延びてきたのは長さの単位は1度定まると簡単には変化できないから、連動している時間も変われなかったのではないかと考えている。

 1辰刻と1DANNA と 1太陽円盤と1スタディアン

いまの時代に私達が使っている単位の丁度2倍です。 ぴったりではないですが、

 2時間と10.8km と 2分と 180m として大差はありません。認識にはこれがもっとも適当です。そしてこの構造の下方への延長が考えられました。それぞれ60分の1にしました。

 2秒と3mすなわちダブルパッススがそれです。伝えられる途中で時間の基本単位は1時間となり、基準単位スタディオンの長さも半分になり、小時間単位も1分となり対応の長さも90mと変化しました。さらにその60分の1の1秒がパッスス1.5m さらにその60分の1が 1インチと大枠は定められた。

西への伝播に対して、東へも古代の中国は12時辰、日本も干支の12辰刻とつたわっています。

長さの単位もオリエントの1スタディアンに対応しているのが1町108m、これが月や太陽の円盤ひとつの移動にあわせて兵士が荷を背負って移動すべき距離 この60倍は10里でオリエントの1DANNAにあたる。10里の倍数が法律に残っている。1日に馬なら70里、人なら50里、車を引いてなら30里という意味で(凡行程。馬日七十里。歩五十里。車卅里(公式令))として日本古代史に残っている。

 スタディアンの60分の1であるダブルパッススにあたる長さが一町の60分の1の歩(ぶ)で今は1間といわれる長さがある。向こうが3mこちらは1.8mで5分の3である。

ダブルパッススの60分の1がダブルインチで5cm この10倍が1キュビット50cm

こちらは1歩の60分の1が1寸で3cm この10倍が1尺で30cm

キュビット(50cm)も尺もともに古代の世界的広がりを持つ長さの単位である。時間と組になって考えられていたことも明らかで大きな枠組みも一致している。東洋と西洋そしてオリエントでは長さの単位の概念は独自に発生したというのはもはや難しくなった。文明、文化の伝播はよいことである。古代はみな良いものがどんどん広がっていったのである。さてメートル=ダブルキュビットの謎を知っていますか。ダブルキュビットは2秒で往復する振り子の糸の長さであり古代人は太陽移動の60分の1の生成に使っていたかもしれないという謎です。これ以上書くと硬い歴史家から顰蹙を買いそうなので自粛します。ともかく痕跡や後をたどることは実に楽しいものです。

 わたしは生徒諸君にこの話をするとき次のことを付け加えます。

ここに書 いたことは新説です。学界の定説ではありません。これから長い期間かけて検証され

やがて認められていく新説に過ぎません。しかし真説かも知れません。反対でもありがたい。検証してください。君たちの人生の中でひとつくらいまだ正しいかどうかわからないことを教えられることがあってよい。今日は大胆に自説を展開しました。ではまた。

 受け止めてくれます。今後も新作教材開発に努めます。

 

追加  古代オリエント、メソポタミア文明において12という数が役に立つ数として認識されていた。1日は12等分された。12等分するとは具体的には1日の太陽の一周分の動きを12分割することである。太陽が30度だけ移動することを観測する道具が開発された。

それは日時計である。板に一点から30度区切りの放射線が引かれていればそこに鉛直に棒を立てておく。棒の影の動きで時間の経過が確認できる。夜でも太陽の通り道の星座の動きで時間が確認できる。360度の全周の角を12等分することはコンパスで簡単にできる。黄道という太陽の通り道も分割した。それが現在の占星術の起こりである。東洋に伝わって12時辰あるいは12辰刻といわれる時制を残すことになった。グノーモンも開発された。エジプトひももオリエントの産物である。60進法として重さの単位系もあった。広さはパッススや歩が利用された。またスタディアや町が使われた。いまの日本でも1町歩の駅裏の土地持ち等ということがある。1町歩は10段 1段360歩は1歩1升ゆえ1年分の食料生産地。古代の土地制度はそれなりに合理性がある。

あと西洋文化やキリスト教を理解するには12進60進が必須であるとおもう。

 

 私の研究成果 古代文明の数学 エジプトひもを参考にしてください。Yahoo

などで“エジプトひも”で検索すれば30件ほどヒットします。授業に役立ててくだされば

幸いです。

index