さよならシンザン

今となっては普通のきれいな道になってしまったが、当時はでこぼこなうえに100km/h越せば余裕で車が飛べるジャンプ台のような田んぼ道であった。
ことが起きる一週間前、麻雀の最中にこの道の話題が持ち上がり、栗ちゃんドライブの下、私、塾長の3人で実験を試みた。車は見事ジャンプし実験は成功と思われたが、車はバランスを失い在らぬ方向へ直進し、先にある電柱に激突寸前。栗ちゃんのハンドルさばきで間一髪逃れたが、そのまま車は道を外れ交差点付近の水田に向かってダイブ。2回にわたる衝撃が私の頭部を襲った。
私の記憶と車の破損状況と自己流現場検証によれば、水田にダイブした車は一旦は交差する道に出たものの、車は逆さま状態で道を横切り、そのまま向こう側の水田に突っ込んだと思われる。
車が停止して、最初に見たのがうずくまる栗ちゃんの姿。大声で呼ぶと栗ちゃんが復活。生存を確認。
ほっとしたのもつかの間、後部座席に居るべきの塾長の姿がない。開かないドアの割れた窓から這い出てみれば、水田の中を「眼鏡がねぇ!」と言いながら眼鏡を探している塾長を発見。ちなみに私はシートベルトのお陰で生存したと思われる。
私をあわせて3人の無事?を確認し、私は助けを呼びにいく。しかし、状況が未だ飲込めずパニック状態であったのであろう。私は近くにある家屋とは反対の方向へ助けを求めに走る始末。たまたま正面から来た車を止めて、運転手に救急車の手配を頼んだ。ビックリした表情で血まみれになった私の服と顔を運転手に指摘されて、やっと私は事の重大さを認識する。
3人とも救急車に担ぎこまれ、救急病院へ運ばれる。私はこめかみと耳、栗ちゃんは頭部を怪我しており、私は14針を縫う手術、栗ちゃんは不明。幸い私は麻酔が効いて手術中は大して痛くはなかったが、栗ちゃんは麻酔が効かず相当痛がってた模様。
手術が終わり、いつのまにかおうさんがひょっこりいた。塾長邸で待機し、連絡を聞きこちらに赴いたとの話。
そのまま病院で解散したわけだが、迎えに来た私の両親の我々の姿を見た感想は、塾長はガタガタ震え、栗ちゃんはボ〜っと呆けて、それを看護するおうさんに好印象を持ったとの話である。
被害状況:栗ちゃんの車、塾長と私の眼鏡、私の片っぽのサンダル。

余談になるが、この事故から5時間後、三冠馬・シンザンが老衰死。我々にとっても日本競馬界にとっても不幸な日であったと思う。
そして、シンザンが自ら犠牲になり、私だけ!の代わりに死んでいったと私は確信している。
                                             文・平田
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車が空を飛んだ場所
当時はこんな風に舗装されてなかったらしい。この塾長達の尊い犠牲により舗装されたのかもしれない。