地名・飛騨、にはアクセントが実は二つあり、ひとつは頭高●○、
もうひとつは平板○●です。
二拍の名詞ですからアクセントの型は二つしかないのは当たり前といえば当たり前です。
ところが、こんな事にいつまでもいつまでも拘るのが佐七です。
別稿・飛騨という言葉のアクセント考に
記載した通りですが、古来から●○と呼ばれていたのであろう事は
疑うべくもありませんね。
ところが問題点がいくつあります。独断により即答させていただきましょう。
問一 飛騨人は飛騨という地名を頭高●○で呼ぶのか、平板○●で
呼ぶのか。
どちらでも呼ぶのです。
飛騨は福島県などのように無アクセント地方ではありませんが、
実は飛騨人には頭高●○、平板○●の拘りはないでしょう。
言い換えますと、古来は頭高●○だけであった地名飛騨ですが、
近年は平板○●アクセントが台頭しているという事なのでしょう。
問ニ 飛騨人は飛騨という地名を頭高●○で、あるいは平板○●で
呼ぶのかいいのか、どちらが好ましいと思っているのか。
おそらく誰にもこだわりはないはず。
また何れのアクセントであれ意味の取り違えなどあろうはずもなく、
日常会話ではこの二種類のアクセントのゆらぎが生じているはずである。
一方、愛知県に於いては尾張▼○○頭高・終わり○●●平板の聞き違えは致命的である。
問三 将来の地名・飛騨のアクセントを予測してください。
いずれ未来には佐七の願いも空しく頭高●○は消滅するはずです。
平板○●のみになるのでしょう。
つまりは平板○●、が勃興してきた原因を考えてみてください。
平板のほうが頭高より言い易い事は勿論ですが、
例えば平仮名を覚えたばかりの飛騨地方以外の幼稚園児が、
ひだ、という平仮名を見たら平板で発音するでしょう。
また飛騨人は平板アクセント○●に拒否反応を示しません。
かくして平板で話す人口は増え続けこそすれ、減る事は
ありません。
結論です。このような小さな変化が積み重なると、やがて
頭高は消滅、平板アクセント飛騨のみになるはずです。
言葉の変化は話して使いやすい方向に向かう、という言語学の
不変の原理が働くはずです。つまりは佐七にとってはむしろ、
古代人がそもそも何故、頭高発音の飛騨を選んだのか、
と言う事が謎になってくるのです。
参考 井上史雄、日本語ウォッチング、岩波新書、2005年10刷、
日本語アクセント平板化の歴史の章
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