方言が本物であるか偽者であるかなどという事は実に簡単な事で、
飛騨方言とは、などと私が一生懸命にここに書くまでも無く、つまりは
飛騨の出身者の方にとっては
当サイトの記載するアクセント論以上の事が身についており、
実は当サイトの記載は単なる、うざったい記載、ペダンチックな佐七の独り言
なのでしょう。また飛騨の出身者でない方は
当サイトの記載するアクセント論は、
なぞの呪文、ペダンチックな佐七の独り言
と言う事ですね。どちらにしても孤独なサイトです。
然し孤独であるという事は実は楽しい。
私の最大の友は私自身である。私は十年後にこのサイトを全て読み直して、つまりは
私という人間、私自身を再発見するだろう。
私の最大の理解者は若しやひょっとして十年後にまだ生きているかも知れない、・・私自身である。
前置きはさておき、本題です。家内と近くのスーパーに行きました。知らない方ばかりです。
かってきままな雑談が聞こえます。そして、突然に私の心に電撃が走る・・
目の前のご夫婦です。お二人で買い物をなさる会話に文末詞・さ、を連発されますが、
明らかにアクセントが異なるのです。しり上がりです。飛騨方言では有り得ない事は書かずもがな。
つまりは、文末詞・さ、の意味と言えば、
相手に対して念を押す
これ以外の意味はありません。例えば、そうなんやさ、などという会話言葉も、
実は例えば女性が話す言葉であるにせよ意味は、そうにきまってる・てめえはわかってるんだろうな、という意味です。
ところで飛騨方言では、この文末詞・さ、は必ず無核です。アクセントはありません。
意識して話そうが、酔っていようが、その文法しか知らない佐七は有核で文末詞・さ、を
用いる事はできません。
それでもよくかんがえてみたら、文末詞・さ、なんて日本語そのものなのさ。別にどこの方言でもかまわないのさ。
でもアクセントが違うと飛騨方言ではないという事が僕にはわかるのさ。
別に佐七でなくても、飛騨の出身の人は・・・誰でも・・わかるんやさ。
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