大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考 |
"あさんず"という言葉が尾崎にしかなく、上呂には無い理由 |
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ここ数日ですが、岐阜県下呂市萩原町を流れる飛騨川にかかる橋その名も、あさんず橋、がある事を知って四篇の文章を書きました。 2020/02/04 書下ろし>ネット>あさんず情報 ... -図書館編 2020/02/03 書下ろし>人物>国学者・田中大秀(2) 2020/02/02 書下ろし>音韻>あさんず 2020/02/01 書下ろし>語彙>あさんず まずは語彙では、あさんずが日本で唯一の語彙、つまりはユニーク極まりない言葉である事を実証しました。音韻では電話聞き取り調査で中高アクセントである事を確認した事をお書きしました。国学者・田中大秀では、あさみずの撥音便が語源であり、多くの飛騨の古文書に記載がある事をお書きしました。図書館情報では、下呂市・高山市・岐阜県立、以上の三つの図書館に若干の、あさんず情報が存在する事をお書きしました。 きりがないのですがある事に気づいてしまい、どうしてもお書きしたいのでもう一回だけお付き合いくださいませ。私が気づいた事と言えば、あさんず橋は萩原町上呂と萩原町尾崎をつなぐ橋ですが、あさんずの言葉は尾崎にしかなく(あさんず通り、JA、会館、俳句会)、上呂には無いという事です。なぜでしょう。でも、ちょいと考えればすぐわかる事、あさんずは尾崎の地名だからですね。なるほど対岸尾崎の地名ならば上呂には、あさんずが無いわけです。以下は私の推察です。 ★その昔、はるか昔、おそらく奈良時代に萩原町尾崎、つまりは飛騨川の右岸に浅水あさみず、という地名があった。 ★その後の川の流れの変化や護岸工事等で、今はそれを知る由もないがその土地の岸辺が浅瀬であった事から浅水と人々はよんだ。 ★その当時から対岸には都と飛騨高山を結ぶ街道の町・上留駅(かみつとまるのえき)があり、その地名はいつしか、突然に上呂じょうろに代わってしまった。 ★浅水あさみずの地名は突然に変化した上呂と違い、いつしか、おそらく数世紀を経て、あさんず、に撥音便化した。 ★昔から浅水と上呂は交通が多かったのだが、橋をかける技術が無い頃、唯一の交通手段は渡し舟であった。 ★渡しは浅瀬にて安全に舟を陸に上げる事の出来る、あさんずにあった。 ★飛騨川はそれほどの大河ではないので渡しは、あさんずの渡しひとつで十分であった。 ★つまりは対岸上呂は深瀬で、渡しに適当な場所が無かったのかもしれない。 ★このように飛騨の言葉のプロトタイプとして、あさんずのわたし、という言葉が誕生した。 ★船頭は皆が、あさんずに住んでいた。 ★後の世に橋が出来た。 ★あさんずの渡しは歴史を閉じ、船頭はいなくなった。 ★人々は橋をあさんず橋と名付けた。 ★サイト管理人が2020年の一月にその事に気づき、自身のウエブに記事を書いた。尾崎村あさんずの船頭さんは橋のたもとで、これも歴史の流れと一言つぶやいて涙をぬぐったのでしょう。でも定年を迎え人生やり遂げた感があったのかも、本当に長い間、ご苦労様でした。 |
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