大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

地名・飛騨(古くは斐太)の語源についてひとつの見方

戻る

地名・飛騨の語源について少し考えて見ました。 小生自身が知識も何も無く、早速にネット情報を探ってみました。 ★ヒダの語源となった「日抱」の神社 "数多くある日抱(ひだき)神社の一つの白井日抱宮" ★インフォシーク・県より広い日本一の市が出現!?"飛騨の語源は「鄙(ひな)」つまり田舎だそうだ" ★ネット情報・惟神の旅 富山・岐阜編 "・・この天孫降臨伝説は飛騨の語源となった日球王朝が、神武天皇以前に存在していたことを物語っているのではないでしょうか。" ★メディクスタクシー掲示板 "山襞(やまひだ)=山のしわ、プリーツですね。その山ひだのヒダが語源であるとの説と、これは私がとある学者から聞いた話ですが、" ★ネット情報・飛騨高山グルメな毎日! "飛騨の語源は山々が襞(ヒダ)のように重なり合っている様子からきたといわれています。"

総評しますとどれもが正しいようにも見えますし、あるいは若しや珍説・奇説ということでしょうか。 各々の説について真偽の程は定かではありません。 ところで私なりにそういえばと今思う事を一言だけ以下にお書きします。

そもそも漢字・飛騨、から飛騨の語源を考える事には無理があります。文献によりますと、八世紀初頭までは斐太、または斐陀、と表記されていたのですが(続日本紀)、律令政府が中央集権施策の一環として意図した全国的な国名表記の統制・定着方針(漢字二文字とする事、読みは自由)に基づき、慶雲四年-和銅元年(707-8)に飛騨と改定、定着したようです。 ところで斐太という言葉でネット検索しますと飛騨の情報以外に 新潟県妙高市の新井と呼ばれる地区からの情報発信があります。 全国広しといえども新潟県妙高市と岐阜県飛騨地方の両地域においてのみ 斐太という言葉が使われているようです。

新潟県妙高市に斐太古墳群にかこまれる斐太神社がある地域の事を 考える時、白井日抱宮説を信ずる方はどう反駁されるのでしょうか。 妙高市民は皆様がヒダキ説に絶句されましょう。

高山市民の方々へ、斐太の里といえば越後のコシヒカリの一種です。 妙高市民の方々へ、飛騨の里といえば岐阜県高山市の観光スポットです。 おやおやそうでしたか。 お恥ずかしい話ですが、私自身がつい先ほどまで新潟県にある斐太地方の事を知らず、何故に新潟の米が飛騨の米を名のらねばならぬのかと一瞬、考えてしまった次第です。

また新潟県新井出身のどなたかで 妙高市斐太南小学校あるいは 妙高市斐太北小学校あるいは 妙高市立新井中学校(旧斐太中学校) を卒業されて、縁あって岐阜県立斐太高等学校(高山市) に進学された方はいらっしゃいませんか。斐太高等学校は岐阜県では二番目の歴史のある公立高校です。 故に飛騨高等学校とは記載しないのです。 あるいは斐太南小学校、斐太北小学校、はもっと歴史があるのでしょう。 斐太中学校が新井中学校に改まってしまった事が佐七のおじさんは残念な気もするのだけれど。

追記 2006.3.1
情報をいただきました。 ヤフー・岐阜県の方言−東濃 恵那弁−の 管理人・阿木人様です。 彼いわく 地名篇(その十七) にありますポリネシア語由来説も一考の価値ありと。なおこの情報源のトップページは ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源 です。

ページ先頭に戻る