大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考 |
岐阜 |
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私:飛騨方言がテーマのサイトなので岐阜の名前の由来については如何なものかと思ったが、岐阜県北部の方言であることには間違いが無い。 君:岐阜の由来位、岐阜県民なら誰でも知っているわよ。織田信長が名付けたのよね。 私:それでは完全正解とはいえないな。「信長公記(しんちょうこうき)」に初めて「岐阜」の名前が出てくるから、というのが模範解答。流石に原本は読みづらい。現代語訳がいくつか出ているし、漫画本もある。とかく誤解を受けやすい人だが、岐阜県民にとってはヒーローといってもいいだろう。正しい人物像を知る為には信長公記へゴー。具体的には「岐阜」の名前は、尾張「政秀寺」を開山した沢彦宗恩の勧めによるもの。ただし彼は織田信長の性格を見抜き「岐山・岐陽・岐阜」の地名を提案し、信長自身に選ばせた。三つはいずれも中国の故事に由来。「岐」は深く入り込む所、「阜」は岡の意味。信長は墨俣城を岐阜城と改名、井ノ口を岐阜と改名し楽市・楽座を開いた。私の人生も多岐に渡り、岐路に立っている。つまり「岐」は分岐点の意味でもある。岐阜は日本の東西の真ん中という意味合いもあるね。 君:一般常識的には、それで十分ね。ついでに近隣の県も教えてね。 私:ああ、愛知は万葉集巻三の高市黒人の歌「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」に詠まれている、「年魚市潟(あゆちがた)」の「あゆち」が「あいち」に転じた。三重は三重郡からで「み」は朝鮮語で神、「へ」は辺だろう。富山は水越氏の居城・富山城からで、城は呉羽丘陵の外山(とやま)にあたる土地だから。石川は旧石川郡からで、手取川の扇状地は名高い暴れ川、豪雨の度に上流から巨岩を押し出した事からだ。福井は松平氏の福井城からで、城下を流れる足羽川(あすわがわ)を福の多い川(井)と見立てたからという。長野は善光寺の門前町長野からで、山に挟まれて長く伸る盆地の名前を表している。 君:県名というものは総じて自然地形を象徴するのね。しかも岐阜・石川・福井・長野は川にちなんでいるし、愛知・三重は海にちなむのね。 私:筑摩県を忘れてはいけない。明治に松本と高山を足した地域が一時、ひとつの県だった事がある。筑摩の古来の読み方は「つくま」で長野県の地名、「ちくま」は明治からの読みで、更には「千曲川」にあるように、現代人は「千曲」の当て字しか知らない。 君:それと飛騨県よね。 私:そう、これも当サイトの鉄板ネタになっている。一時、飛騨だけで一つの県の事があった。従って僕は高山市の事を「旧県庁所在地」と呼ぶことにしている。高山県と呼ばれた事もある。なんだか由緒ある市のように響いてしまうね。ぶふっ 君:あまり強調しないほうがいいわよ。岐阜には笠松県、大垣県、加納県、郡上県、等々、沢山あったのだから。 私:それもそうだ。僕の場合、一族郎党全員が高山市だからいいものの、高山県と呼んでしまうと、飛騨古川や下呂の人々が快くお思いにならないだろうね。飛騨の国といえば飛騨の人々の心がひとつになる。飛騨方言は飛弾の人々の魂そのもの、皆の心を一つにする唯一の手段であると僕は信じて疑わない。そしゃそやぞ。ためらってな。 君:でも地勢的には高山市はピンポイントで飛騨の真ん中なのよね。今も昔も高山市が飛騨の中心である事は変わらないわ。ところで中部縦貫道はいつ開通するのかしら。 私:長野県と福井県を結ぼうという計画だね。計画は頓挫していると思う。その一方、東海北陸道の片道二車線化はかなり進んだ。県予算の二倍の土木工事だ。それで十分だろう。名古屋と高山は本当に行き来しやすくなったね。つまり高山市は東海北陸道で全国と繋がっている。 君:岐阜県の最北端・神岡が名古屋のすぐそこ、とは。昔日の感ね。 |
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