昨日ですが、中世における飛騨方言のハ行を考察するために日葡辞書のハ行を順番に読んでいました所、Faguiuara 萩原、萩と呼ばれる草のたくさん生える所、あるいは、その野原 の記載がありました。おやまあ一般名詞だったのかい、と私は思ったのです。そして旺文社古語辞典には同様の記載、即ちはぎはら 萩原、萩の生い茂っている野原、(わが屋戸の秋のー色づきにけり、万10.3217) とありました。既に室町時代にハ行転呼音だったのでした。なるほど。
全国地名ですが、萩原町、萩原村が若干ヒットします。あるいは若しや岐阜県下呂市萩原町は万葉集に詠まれていた可能性すらあるではないか、とワクワクしながら尚もネット検索してみました。
なんと、1889年(明治22年)7月1日に宮田村、三郷村、川西村の三つが合併して突然に出来た村の名前が実は萩原村。萩原町の前身です。明治30年10月29日町制が敷かれ萩原町に昇格、平成の合併で下呂市に編入、今は下呂市萩原町です。
この辺り一帯を萩原郷と言うのですが、鎌倉期から見える郷名です。江戸期には萩原郷と萩原村の広域称が存在していたようです。新しい村の命名劇ですが、その三つの村の村長さん等があれこれ一生懸命お考えになってという事ではなく江戸時代に原点復帰という事で萩原村にすんなり決まったでしょうね。日葡辞書にある言葉ですから全国に多い地名であると考えられます。岐阜県には他に池田町萩原があります。それにしても近隣には竹原、下原、等々の名前が連なっている土地柄ですから、萩は生えていなくても萩原という名前が決まり言葉だったのでしょう。しゃみしゃっきり。
|