高山市一之宮町ですが、平成の大合併前は旧大野郡宮村。
名前が、宮から一之宮、に変わった点はブラボーですね。
宮村には実はJR飛騨一ノ宮駅(ひだいちのみやえき)の名前から、
飛騨一之宮という通称もあったのでしょうが、このたび正式の名前で
一之宮という名前に戻ったという訳です。
ところで高山市一之宮町といえば水無(みなし)神社ですが、
この神社の歴史は神代から、という事になっているようですが、
俗説という事ですね。実際には平安時代末でしょう。
高山市国府町の地名考に記載しましたが、飛騨で最初の都が国府町です。
国府は大和朝廷の出先機関であったのですが、当時の一之宮町は
あるいは草がぼうぼう、つまり神社などあるわけがない。
本来は国府に総社といって壮大な神社を作ったのが古代の習わしだった
のですが、どうにも高山市国府町には総社が創建されなかった
という事なのでしょうか。
飛騨総社ですが実は創建は承平年間(931〜938)のようです。
飛騨の国府はいざ知らず、
全国の国府に総社が創建されましたが、それでも神様だけで全国を鎮めるのは
不十分だと言う事で大和朝廷は、しばらくして各地に国分寺を創建
するようになったのです。仏様にも力を借りて国を平定しようという
もくろみです。と言う事で高山市に国分寺が建立されました。
つまりは、国府町が最初の都で程なくして発展してきた副都心・高山に
国分寺が出来たというわけです。
ところがどうも国府にはそもそも総社がなかったらしい。
飛騨にあったのは高山の国分寺だけ、
飛騨を鎮めていただくには仏様だけでは
不十分だという事で、一之宮町に壮大な神社が建立されたという
事なのですね。
説明が回りくどくなりましたが一之宮とはもともとは
その地方で最も有力な神社という一般名詞です。
愛知県一之宮市が最も有名な地名ですが、一之宮の
地名は全国に七つあり、そのひとつが飛騨一之宮・水無神社というわけです。
歴史は平安からという事のようです。
一之宮に次ぐのが二之宮、三之宮、です。
元々の地名が一之宮であったにもかかわらず、いつしか宮村になって
しまったようですが、平成の合併を機会に名前が先祖帰りした
というお話でした。しゃみしゃっきり。
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