大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考

かえりくもやま(帰雲山)

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私:白川村保木脇、庄川沿いに帰雲山があり、戦国時代に帰雲城があった。内ケ島氏の居城だった。天正十三年(1585)の越中地震で一夜にして内ケ島一族は城とともに消滅した。
君:帰雲城伝説ね。
私:いや、厳然たる史実。山の中腹の城だったが、大規模地滑りで瞬時に消滅した。後世の地質学は教えてくれる。跡津川断層系と牛首断層の延長部が御母衣断層と会合しているために生じた。
君:そういう危険極まりない場所を殊更にお選びになって築城とは、悲しい物語ね。
私:そう。悲しすぎる。城はおろか城下をも瞬時に呑み込んだ地滑りだったらしいね。
君:山が一瞬にしてなくなったというようなイメージね。
私:そう。令和の現代でもドライブがてら、道路から山崩れの箇所がはっきりと見て取れる。ああ、これじゃあひとたまりもないな、とつぶやかざるを得ない。
君:2024正月の能登大地震とは関連するのかしら。
私:さあ。天正十三年(1585)の越中地震は内陸直下型だったのだろうね。日本列島は弓なりになっているが中部地方で折れ曲がっているといってもいい。岐阜県は地震県といってもいいかもしれないね。濃尾地震(明治14年)は未曽有の災害をもたらした。
君:怖いわね。
私:閑話休題。帰雲城を「かえりくも」と呼ぶ人は少数派ではなかろうか。
君:ついうっかり「きうんじよう」と呼びそうね。
私:つられる言葉があるんだよ。風雲真田城。
君:ふうん。 ほほほ

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