大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨地名考・高山市国府町

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飛騨に国府町という地名がありますが、 全国の皆様は、また飛騨の皆様とて、やはりねえ、その昔、古代に 国府があった由緒ある地名ですねえ、というお気持ちになりましょう。 全国の数ある国府・府中の地名は大半が史実に基づく、 と佐七も信じています。 ところが、情けない事に、実は飛騨に限っては曲者の地名なのです。 まさに地名ロマンスのぶち壊し話ですが、 以下に淡々と事実を記載しましょう。

さて、全国に歴史地名・国府は多しと言えども、飛騨の国府町は由緒も歴史も何もありません。 明治八年に突然にデビューした地名です。 明治になり廃藩置県、それまでの江戸時代の郡郷制が 廃止される事となり吉城郡広瀬郷あたりの二十二の村が 合併する事になりました。
  1. 三川村・さんがわ
  2. 上広瀬村
  3. 糠塚村・ぬかづか
  4. 村山村
  5. 金桶村・かねおけ
  6. 瓜巣村・うりす
  7. 名張村
  8. 宇津江村
  9. 広瀬町村
  10. 三日町村
  11. 箕輪村・みのわ
  12. 今村・いま
  13. 宮地村
  14. 東門前村・ひがしもんぜん
  15. 西門前村
  16. 八日町村
  17. 漆垣内村・うるしがいと
  18. 桐谷村・きりだに
  19. 半田村
  20. 木曽垣内村・きそがいと
  21. 鶴巣村・つるす
  22. 山本村
これら二十二もの大字をひとつにまとめて新しい村名を 考える事、これは確かに至難の仕事です。 そこで提案されたウルトラシーが、国府村、 だったという事です。 国府、なんという優雅な響きでしょう。佐七も脱帽です。 誰も素敵なデビュー名に異論は唱えませんでした。

つまりこれは当時の合併協議会の作戦だったのです。 高山に国府町という地名がなかったから、チャンスとばかりに 国府村と名乗った。早く思いついた者勝ちの論理です。 平成の飛騨市誕生ドタバタ劇を見よ、歴史は繰り返す。 ちんびくせえ国府町も名前はでけえ。

実は江戸時代の天保郷帳にも、元禄検地反保帳にも、 飛騨には国府の地名はありません。 やはり古代からの地名の変遷を考えて同地は、広瀬村、 あるいは荒城村、とでも名乗るべきでした。 歴史に、若しも、はありませんが、金森長近が気まぐれに名付けたであろう高山城と その城下・高山。彼は気まぐれついでに城下の国分寺界隈、あるいは上岡本町界隈 を国府町と名付けておくべきでした。 若しも江戸時代に高山の城下に国府町があれば、 明治になって吉城郡に国府村(という、たあけたいな地名)は 生まれなかったであろうに、というたわけた下種の佐七の勘ぐりですわい。

広瀬町地区にかつて国府が存在したのかもしれない、 というのはあくまでも伝説です。史実でもなんでもありません。 遺跡はありません。飛騨人は皆、 広瀬が国府であったという確証は何もない、 と説く歴史家に真摯に耳を向けなくてはいけません。

さて国府伝説が生まれてしまった広瀬町の小字を以下に 列挙します。
十王堂  石橋   作料下  こふ峠口 こふの宮
にわ草
大洞口  桜野   町頭   山ノ下  たうのこし
清水   野添
中村   かけと  野尻   長森   かじた
小塚田  やぶ田  塔たい
石原   立原   諏訪ノ前 柳添   穴田
三ツ俣木 大原   塔ノ前
尻なし  塔の本  下大日  橋場   まちご
とき田  やなが坪
五社田  横後下  横後   流田   なんば
塚腰   十郎洞  引廻し
平    神明平  山崎   姥懐   大洞  
こぶの岩 水上洞  宮ケ洞
こふ平  こふ峠  作料   水洞   陣ケ平
野田ケ洞 荒神洞
そもそも広瀬に国府伝説があったのは、こふと名づく大字が多かったから、 といってもわずかに四つ。 たったそれだけの事、そしてこの伝説が明治時代、 つまりはつい最近、新地名として利用されたのです。 ( こすいぞ、こすすぎる。飛騨方言・こすい = ずるい ) 言い換えましょう、つまりは全国に数ある国府という地名の中に 明治時代に飛騨からの新参者。 正にこの新地名に関して、司馬遼太郎が国府町役場を訪れた時の話が、 街道を行く、に面白く書かれています。読んでのお楽しみ。 やはり、洞察力の人、故・司馬遼太郎氏。

たとえ嫌われてもいい、真実のみを愛する佐七から、 つまりは明治に突然に名乗り始めた地名にお住まいの皆様へ、 例えあなたがたが愛着を感ずる地名でも、 筆者はいただけません。 冷静に考えて見てください。 あなたがたは広瀬町でしょう。No one else, and who else? 国府という地名は平成の大合併で高山市に吸収された時に 高山市に返上するべきだったのではありませんか。

末筆ながらお察しの良い方は上記の資料から、飛騨の国府はやはり国分寺のある高山だったか、と 考え始めておみえですね。( どこでもええながいな、 合併してひとどご○▼○○(=一つ所)になってまったんやで、 新高山市のどっかって事でなあ、みんな仲良うやってくりょ、ですって。 )
資料
平凡社・日本歴史地名大系「岐阜県の地名」
角川日本地名大辞典21・岐阜県

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