大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考 |
益田郡(ましたぐん) |
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私:市町村合併等により古い地名が失われていく事に何とも言えぬやるせなさを感じる。 君:ほほほ、いつもの出だしね。今日は益田郡について平凡社日本歴史地名大系21(岐阜県)のご紹介なのよね。 私:ああ、そうだ。その前に概略を飛騨は平成の大合併前は一市三郡(高山市、吉城郡、大野郡、益田郡)だったが、合併により吉城郡の一部が高山市と合併、吉城郡の残りは飛騨市となり、大野郡は白川村を除いて高山市と合併、益田郡は全域が下呂市となった。 君:今じゃあすっかり下呂市の名前が定着しているわよね。 私:一番にお喜びなのが下呂温泉だよね。 君:ええ、勿論。平成の大合併の前は益田郡下呂町の下呂温泉、それが今じゃ下呂市下呂温泉。 私:当時だが萩原町の反発は無かっただろうか。旧益田郡で一番の町が下呂だけど、旧益田郡で二番目に大きい萩原町が「益田市じゃなきゃいやだ」とかおっしゃらなかったのだろうか。当時の事だが、もめにもめた吉城郡と違って合併騒動は無いに等しく、名前は「下呂市」しかも、益田郡の全町村がひとつにまとまって、というような大人の対応だったようだが。 君:そうね。益田郡の方々は皆さまが大人なのよ。 私:でも、あっさりと「益田市」を却下する、というのは大人の対応じゃないような気がする。 君:ほほほ、「益田郡」の名前は伝統があるから、という事ね。 私:正にその通り。とにかく古い地名なんだよ。 君:具体的には。 私:実は奈良時代、日本の国が群制になって、飛騨国は全体が大野郡だったが、貞観12年(870)12月8日の勅によって大野郡の南部が分割され当郡が作られた(三代実録)。 君:へえ、成立の日時までわかっているのね。 私: 下呂市は平成16年(2004)3月1日に旧益田郡の萩原町、小坂町、下呂町、金山町、馬瀬村の5町村が合併して誕生。 君:つまりは益田郡は1133年と3か月続いたのね。 私:正に。一千年の時を経てはかなく消えていった益田よ哀れ。 君:ほほほ、下呂の地名だって益田と同様に古いのだから大丈夫よ。 私:おっ、さすが下呂市民はお察しがよくて大人の考えだね。 君:少しご説明なさったほうがいいわよ。 私:下呂の語源は「しもつとまるのえき下留駅」。奈良から飛騨国の国分寺に至る位山官道の宿場に由来する。 君:つまりは三代実録に記載があるのよね。 私:おっ、お察しがいいね。 君:貞観12年(870)なのよね。 私:おっ、お察しがいいね。余談だが、位山に自生する「イチイ」の木から「しゃく笏」を作るが、推古天皇から令和天皇に至るまで歴代天皇に献上されてきた。ここ 君:「しもつとまるのえき下留駅」界隈が随分と発展してきたから、それじゃあこの辺りを大野郡と分離して新しい郡としましょう、という事だったのよね。 私:そりゃあ勿論でございます。 君:だから下留駅の界隈の新しい郡の名前をどうするか、稟議があったのじゃないかしら。その稟議の結果、新しい郡の名が益田。 私:うーん、素晴らしい。その通りだ。下留駅と益田郡、この二つの地名でどちらが古いか、考えるまでも無い事だ。 君:だから益田市ではなく下呂市。つまりは平成の大合併は貞観12年(870)への原点回帰なのよ。 私:その通りだね。下呂市の中に益田の名の付く地名・施設その他を沢山残せばいいのだし。 君:その代表が「益田清風高校」なのよ。 私:なるほど、萩原町には県立高校がある。下呂温泉には高校が無い。他には益田農機センター(JAひだ)とか。結構、益田の名は大事にされているね。 君:だからどう考えても下呂市でいいのよ。 私:中呂の人も。上呂の人も。 君:ほほほ、勿論よ。 私:それにね、総務省もお喜びだぜ。 君:えっ、どういう事。 私:実は島根県益田市(ますだ)がある。益田(ますだ)は中世からの町だ。 君:つまりは益田の名前は益田市(ますだ)にくれてやり「ました」。ほほほ |
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