大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

佐七の独り言、岐阜県の高山

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岐阜県の高山、という言葉から国民の皆様は 何が思い浮かんで来ましょう。大半の方からは日本三大祭、飛騨高山、 小京都、の言葉がでるのでは。 実は岐阜県には高山という地名が三つあるのです。 ひとつは国際観光都市・高山市、そして土岐市土岐津町高山と中津川市福岡町高山。

土岐市高山は織田豊臣期からある地名です。 近江加藤水口文書から、天正十二年の小牧長久手の戦いの羽柴秀吉朱状に出てくる地名の ようです。 そして土岐市土岐津町の大字として明治から現代まで続いている 大変に由緒ある地名なのですね。

中津川市の高山は、平成の大合併前は恵那郡福岡町の大字であった事は 書かずもがな。 南北朝の宮方尹良(ゆきよし)親王にまつわる伝説があり、 実はその歴史は飛騨高山、土岐市高山に負けじ劣らじ。 実際の史実は江戸時代に美濃国恵那郡のうち苗木藩領、 という事で古い地名という事がお分かりですね。

実は、飛騨高山も似たりよったりなのです。 飛騨の地名で古代からといえば、大野・益田・荒城の三郷、 高山は大野郷の一寒村であったのがスタートですが、 国分寺が出来た奈良時代というわけではなく、中世以前に 飛騨高山の地名は出てきません。 高山がかろうじて全国ブランドになったのは江戸時代です。 金森長近が城を築いた大野郡灘郷・なだ、の城下を 高山と命名したのは確実なのですが、それ以前の 事はわかっていません。 飛騨高山のスタート、それは長近が灘村を整備し命名した、 一之町村、二ノ町村、三之町村の三つの村です。 勿論、城下はあれよあれよと発展した事は書かずもがな。 以上、角川日本地名大辞典巻21から。

飛騨高山の方々が、岐阜県の高山といえば高山市しか ない、国際観光都市とも呼ぶべき、つまりは日本の高山 ではないか、と若しお思いならばまさに、目くそ、鼻くそを笑ふ。 つまりは一寸の地名にも五分の魂、岐阜県では土岐市の大字高山が 最も古いのでしょう。 高山市民の方々はこの土岐市の大字に敬意を 示すべきです。 また苗木藩領高山・金森藩領高山、両者の歴史は 互角というわけなのでした。ですから、いつもの佐七節ですが、
そやで、岐阜県の地名高山三姉妹やし、三つでなあ姉妹都市にならはったらえんやさ。 ええ話やろう。
しゃみしゃっきり。
おまけ
 一年以上前だったかネット検索中に、高山幼稚園、 という名前で土岐市の幼稚園がヒットしたんですよ。 目くその佐七が、もしや園長先生は高山右近の末裔かいな、と思ったらなんと地名。 えっ、飛騨高山以外にも岐阜県に高山があるの!とびっくりした事、 なつかしいなあ。

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