"郷土色豊かなフリマ今年も飛騨国分寺の薬師如来法要で「八日市」2007年6月9日"
とのネット記事がありますが、新聞情報ゆえ、いずれリンク切れでしょうから貼りません。
八日市+高山市で各自が検索してみてください。
千二百年前の国分寺創建時に遡る由緒ある市であったものの、
あらら明治に廃れてしまったそうです。それを
昨年に復活させ、今回は二回目と言う事で新飛騨方言ですね。
筆者ですが、廃れた後に生まれて最近は
国分寺の記憶が薄らいできているのです。
高山市の町名を調べてみました。
八日市町と思いきや、開催地の町名は総和町。おかしいですね。
実は総和町の名前は極めて新しく、なんと昭和十七年。
しかも元は七日町の一部であったといういうからビックリします。
またしかも、江戸期から今日まで続くその七日町の由来は、
案の定、七の日に市が立った事によるのです(後風土記)。
やれやれですが、佐七は事実は事実としてお伝えしなくてはなりません。
面白おかしく書きたい為に史実の重箱の隅をつっついている
のではありません。
つまりはもともと、といっても江戸時代、七日に市があった町・旧七日町・総和町に
なぜ復活した市の名前が八日市なのでしょうか。
伝統を復活させたいというパワーは肝腎のマーケットの名前には
及ばなかったのでしょうか。
もうひとつ、国民の皆様へ、じつは高山市の郊外に
ポツンと八日町という地番もあるのです。
明治八年までは大野郡川上郷八日町村。当時の高山町に合併されたのです。
つまりは、八日町は旧高山城下の町ではありません。
否、八日町は天正年間三木家松倉城の城下町です。
毎月八の日に城内の賦役を勤めたためというのが
名前の由来で、実はマーケットは関係なく、こちらは月に三回の
three, too-bad days (今考えた英語の洒落やさあ)。
(旧七日町の)総和町実行委員会の皆様へ、高山市八日町はいくら町外れでも、それでも今は高山市の一部でしょ。
あなたがたと兄弟も同然です。
・・突然に飛騨方言で・・そやで、なんで八日町に遠慮して七日市にせなんだんや。
もともと七日の市やったんやぜ。
新しい名前にせまいがって事で、国分寺市でも、総和町市でえんやけどいな。
つまりなあ、松倉城と高山城やで、狸の出そうな八日町のほうが七日町より、
でーれー歴史があるんやさ。
そやで佐七にゃあようわかる、
八日町の村の衆は国分寺の八日市っていう新飛騨方言に、
おりだちの村の名前つかうない、って、ごわかいでござるのかもしれんのやぞ。
(ごわかす▼○○○=業を沸かす、怒る)
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