大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言・てきないの表記論

表記論に戻る

てきないの表記論(1)寛容論
てきないの語源の事を飛騨方言・てきない、の語源発見物語 にお書きしました。 従って以下にお示ししますような 語源にまつわる表記は全て正しいと小生は考えます。
大儀 + な、に属する語
 ていぎな、ていきな、
 てぇーいぎな、てぇーいきな、
 てぇーいぎない、てぇーいきない、

てぇぎな、に属する語
 てぇぎな、てぇぎない、てぇぎねえ
 てぇーきな、てぇーきない、てぇーきねえ
 てぇーぎな、てぇーぎない、てぇーぎねえ
 てぇーきな、てぇーきない、てぇーきねえ

てきな、に属する語
 てきな、てぎな、
 てきね、てぎね
 てーきな、てぎーな、
 てーきね、てぎーね

てきない、に属する語
 てきない、てぎない、
 てきねえ、てぎねえ 
 てーきない、てーぎない、
 てーきねえ、てーぎねえ 
ところで飛騨人の方に質問です。 例えば、疲れる事をてきない、と言うならば、 とても疲れるという強調の意味で
どえらいてぇーぎねえ
などとついつい言いませんか。 言葉は伸ばしたほうが、あるいは清音を濁音にしたほうが 強調する雰囲気がでますものね。 実は、語源が大儀なりである事を考えると伸ばして濁音にする事は 語源に忠実に発音している事にもなるのです。
てきないの表記論(1)厳密論
実は佐七が内心思っていることもこの際は記載 しましょう。やはり飛騨方言の正しい表記としては"てきない" 以外にありません。 論拠は以下の如くです。

確かに語源は大儀なりですが、元禄時代に江戸庶民の言葉として "てきない"が成立し、その言葉が 同じく元禄時代、金沢藩主前田綱紀が高山城在番であった時代から 飛騨が天領時代になった時代にかけて飛騨に入ってきた 外来語であるという歴史を無視するわけにはいきません。 そしてその外来語・てきない、は今なお発音が変わる事なく、 てきない、と話されます。 ですから、てきない、以外の表記は江戸時代の飛騨方言、 つまり同語の飛騨地方におけるルーツに 忠実ではないと筆者は主張したいのです。

つまりは、たまたま、てぎない、と濁音化して 発音する人がいたとしてもそれは単に訛っているというだけの事なのです。 あるいは、たいぎな>てぃぎな>てきな>てきない>てぎない、 の如く更にまた方言が進化したという意味にとらえるのならば 話は別です。

ページ先頭に戻る