富山県ホームページに詳しいのですが、 その昔明治時代あたりまで、陸上交通がまだ人の背中が主役だった頃に、 富山湾でとれたぶりは塩ぶりにして飛騨高山に運ばれました。 「越中ぶり」は、さらに野麦峠を超えて信州松本や上諏訪などに運ばれ、 「飛騨ぶり」と名を変えました。 このぶりを運んだ道を「ぶり街道」と呼んでいます。 越中ばかりでなく、飛騨でも信州でも年取り魚(大晦日(おおみそか)の年越しの膳に 白飯とともにつける魚)、縁起魚としてお正月に欠かせないものでした。