2006/10/28
先だっては、けなるい、の原稿を書いていました。
ここでどうしても書きたくなる事が、けなげ・健気、についてです。
同情心を抑える事ができない、不憫で正視できない、思わずもらい泣きしてしまう、
という意味で、けなげ、と、かわいい、が用いられます。
別稿・共通語・けなげ、の語源に関する一仮説
もご参考までに。
ところで、同意語の、けなげ・かわいい、ですが、
飛騨の人なら普通は、かわいい、を用いますね。例えば若い病弱の親を未成年の子供
が看病し、生計を支えている、という話を聞かされて思わず出てくる言葉が、
"あーれ、かわいいなあ、まんだ遊びたいさかりやに。"
なんと不憫な事よ、まだ遊びたい心がさかんな年頃なのに、という意味です。
これを、けなげやなあ、とはあまり言わないでしょうね。ついポロリと
出てくる言葉が、かわいい、という訳です。実はこれにも
ちゃんとした理由があろうというのが本日のお話です。
では、佐七節を。
語源・かわいい
の通りですが、実は顔はゆし、と言う事で圧倒的に古い言葉だからです。室町時代以前の言葉です。
当時から、飛騨方言では、不憫だという意味で、かわいい、と言っていたのでしょう。
そして日葡辞書では安土桃山時代には、けなりげ、という言葉はありましたが、けなげ、は
まだありません。けなげ、は江戸時代に出来た極めて新しい言葉なのでしょう。
そして飛騨は天領となっており、我らがご先祖様・江戸時代の飛騨の民百姓は土地に縛り付けられ年貢を搾り取られ、
けなげに生きましたが、実は江戸で、けなげ、という言葉ができた事を知りませんでした。
かわいがったさ、なあ。
けなげ、という言葉が有ることを飛騨の人間が知るのは
明治時代以降、文明開化からでしょう。
そしてこれが言いたい、けなるい・けなげ、が同根で有る事すら
知る由もなし。また意味は分かってもなんとなく他所他所しい言葉です。
何せ東京語ですから。だから、つい、かわいい、を使ってしまうのです。
それでも平成生まれの東京っ子と飛騨っ子に文化の差は
無いでしょうね。ですから、けなげ、という言葉にむしろ惹かれる
という平成生まれの飛騨っ子がいても不思議はない。
それもよし。
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