大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

こわい

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飛騨方言というよりは共通語といったほうがいいかもしれない言葉かもしれませんが、やはり多くの飛騨人は"こわい"という形容詞は飛騨方言であると考えてしらっしゃるでしょう。

飛騨方言の会話で使われますと意味はさまざまですが、何でもかんでも、自分自身にドキッとした感情が出現すれば、喜怒哀楽、どのような感情であれ、"(自分自身が)あれ、こわいさ。"と発声すればよいのです。勿論、見た現象、理解した現象が自分自身にとって、とても恐ろしい事、恐怖心を与える現象であるとは限りません。

例えば思わず嬉しくて、"(自分自身が)あれ、こわいさ。"といえば、こちらがお礼、お詫びの品を出さねばならない所を、寧ろ相手が先に自分自身の物より立派な好意の品をくださったような場合、思わず嬉しいとともに、思わず恐縮する気持ち、当方の礼の足りなさを思わず恥じるような気持ちで話せばよいのです。相手が飛騨人であると当方のこのような気持ちが伝わる便利な言葉ですが、もし相手が飛騨人で無い場合に、まさか相手方に、こちらの真意がかえって迷惑であるとか、話がややこしくなってしまってかえって煩わしいというように曲解されない事を切に望みます。

ついで、思わず怒って"あれ、あんな光景はこわいさ。"という例ですが、目の前で親が子供を虐待する光景をみて、そんなことはいくら実の親子でも許されないと怒る場合、あるいはスーパーで野菜の値段をみて、普段の五倍の値段となっているのにびっくりして、いくら不作とはいえ、明らかに便乗値上げじゃないのかと不信の念で"あれ、こんな値段はこわいさ。"発声する場合などです。

ついで、哀惜の情ですが、台風で農作物がすっかりだめになってしまった光景をみて、自然災害と諦めるにはあまりにも悲しいという事で、"あれ、桃が全部落ってまってこわいさ。"というような場合です。

さらには楽しくてしようが無い時も"(自分自身が)あれ、こわいさ。"と言えばよいのですが、例えば宝くじがあたってしまったとか、彼からとうとうプロポーズされてしまったとか、兎に角、こんなに突然幸せな気分になってしまうのは何か、夢をひょっとしてみているのだろうか、いや夢ではない、ヤッホー、という気持ちで発声すればよいのです。

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