飛騨方言動詞・だばえる、ですが、ネット情報が皆無に近い飛騨俚言動詞で、意味は、だめである、くだらない状態である、などになります。
東濃地域からもネット情報が実はありました。
飛騨地方からの発信は皆無に近いのです。
下二段で活用するのでしょうか、だばえない、だばえて、だばえる、だばえる、だばえれば(実際には訛って、だばえりゃ)、だばえよ、です。
実は、形容詞句で、だばえた、という言い回しを、だめな、くだらない、という意味で
紹介している方言サイトは多いのです。
飛騨地方と、東濃地方にのみ、動詞・だばえる、が方言として生きているようです。
動詞・だばえる、は俚言とも考えられ、由来、語源は不明と言わざるを得ません。
個人的見解としては、古語動詞・たはぶる(戯る、自動詞ラ下二)、が語源ではないかと佐七は主張します。
根拠を列挙します。
- 古語動詞・たはぶるは万葉集に遡る上代の言葉てすから、歴史を経て飛騨方言に変化した可能性が確かにあります。
- だばえる、たはぶる、の両動詞とも下二段で活用が同じです。
- 両動詞とも終止形は四拍です。
- 両動詞ともアクセントが同じです。○●●○
- たはぶる、に濁点を付加すると、だばぶる、になります。
ただし言いにくいので、だばぶる−>だばえる、と変化したのであろう
というのが佐七の主張の骨子です。
但し論拠が乏しいといわれても仕方のない論点は以下の如くでしょう。
- 古語動詞に由来するのなら全国の方言であるはずなのに筆者・佐七が
ネット検索する限りにおいては岐阜県から以外に方言情報の発信がなく、動詞・だばえる、は俚言、飛騨に特有なことばと考えざるを得ない
- たはぶる、は書き言葉、そして方言は伝承文学、濁点を足して何になる。
- 拍が一致するのは終止形のみ、例えば仮定形では、たはぶれば・五拍、だばえりゃ・四拍
さて語源に関してもう一点、無視できないのがだば(駄馬)+える、という意味で、
駄馬のような状態である、という意味の動詞が形成されたのかも知れないという
私・佐七一流の考えです。
飛騨地方はかつては馬の産地で、戦後もしばらくは使役に活躍し、馬車曳き、と呼ばれる
専用の運送業者さんがいたのです。
但し、この説の最大の欠点は実は
単に響きからの思いつき
にすぎず、こじつけではないかと言われても
筆者は何も反駁できません。但し筆者の生い立ちからは素直にこの説を信じたくなります。
啓示説とでも申しましょう、ふふふ。
村の人々、友人・知己にお披露目したところ絶賛された事もこの際は記載しておきます。
これがこの説の長所です。ふた昔前つまりは戦後しばらく、飛騨はそれは大変な馬の産地だったのです。
小生の父親の人生の前半は馬の世話ばかりだったと記載しておきましょう。
無意識に話しているご当人様方が、なるほどそうか、と言われるのです。
これをこの説の最大の長所と考えずしてなんと考えるのでしょう。
(古語辞典なんて実は関係ありませんよ、ふふふ。)
そして飛騨の馬とて駿馬(しゅんめ)ばかりではありません、
駄馬の一頭や二頭はどこの農家にもいたというものです、嗚呼。
飛騨方言では、だばえ、が名詞として、くだらない事、ダメな事、という意味でも使われる事もあります。
また、当然ながら、だめな、くだらない、という意味の、だばえた、という言い回しも多く使われます。
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