代表的飛騨俚言・"だっしゃもない"ですが、らちもないが転化した言葉ですが、
乱雑である、だらしがないという意味の形容詞(句)です。
だっしゃもないは活用する事は寧ろまれで、一単語として用いられる事が多いと思います。
あるいは、会話文では思わず"だっしゃもない!"と間投詞のように用いられる事も多いと思います。
だっしゃもないのルート語のらちの意味ですが、拉致被害という言葉にあります、無理やりどこかへ連れて行かれる事
という意味ではありません。埒の漢字にありますごとく、
(1)馬場の周囲の柵、(2)(ラッシ(臈次)の転か)物事のくぎり、の意味です(広辞苑)。
つまり、らちもないという日本語の意味は無理やりどこかへ連れて行かれる事が無い
という意味ではなく、馬場に柵がない、あるいは柵が外れている、ないし物事の区切りがない
という意味になります。
あるいは一単語でふらち(不埒)という言葉があります。
法に外れている事、道にそむいている事、ふとどきな事という意味ですが、法律という枠
からはみ出している状態を指し示すことばともいえましょう。
がしかし、飛騨方言・だっしゃもない、は不埒であるという意味は全くありません。専ら、整理整頓が
できていなくて乱雑であるという意味に用いられます。
ところで面白いことにだっしゃもないの共通語訳、だらしがないという言葉ですが、
"だ"+"らちがない"が語源ではありません。
だらしがないという言葉は、実はそもそも、らちもないから派生した言葉ではないのです。
実は"だらし"の語源は"しだら"という言葉から発生した言葉です。
しだらというのは梵語で秩序の意味ですが、これが変化して自堕落という言葉が生まれました。
そして"じだらく"が変化して"しだら"という言葉が生まれました。この時点で秩序がない事を
"しだらがない"という時代がありました。これが江戸時代にいつのまにか"だらしがない"という
ようになってしまい、浮世床などに出てくるようになりました。
近世以後、やがて"しだらがない"は使用されなくなり、現代では"だらしがない"しか使われません。
国語ではこのようなことばを倒語といい、典型的な例が"さざんか"です。漢字では山茶花と書きます
ので、古語では漢字の読みの通り"さんさか"と読んでいたのです。これがいつのまにか倒語してしまい"さざんか"
となり、やがて"さんさか"は使用されなくなってしまったのです。
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