いつも散文調で申し訳ありません。
どの頁もブログのような調子で、何か気が付くとアップロードする日々ですが、
飛騨方言・つかげ、についてひとくさり、お付き合いくださいますね。
本稿の前の原稿が、豆つかげ、です。
でも、実はその前のネット検索が、
siitakehakonoko さんの、飛騨の豆の菓子 豆つかげ、
でした。
つかげ、なんて飛騨方言が本当にあるのかいな、半ば半信半疑でしたから。
だからとりあえずは新飛騨方言。
以上が実は前置きで、本題ですが、さきほど小学館の標準語引き日本方言辞典をひいてみました。
同書は日本の方言十五万語を搭載している怪物辞書です。
そこのテンプラの項目を引いてみると、確かに、つかげ=岐阜県飛騨地方、と記載
されているじゃありませんか。
蛇足ながら、テンプラ=つきあげ、の地方も、テンプラ=つけあげ、の地方も
数限りなし、と一言同辞書内容を追加紹介させていただきましょう。
文脈がわかり難い方の為にあえてお書きしますと、実は、岐阜県高山市久々野町大西村
では、昔から、そして今も、テンプラ=つきあげ、です。私は、つかげ、という言葉は
一度も聞いた事がありません。ところがくだんの小学館辞書には、
つかげ、のみが記載されているじゃありませんか。
つまりは、古くは飛騨全体で、テンプラ=つきあげ、と言われて
いたのでしょう。そして大西村では現在も尚、テンプラ=つきあげ、です。
ところが方言グッズで、豆つかげ、が一般語となっているおそらく
旧高山・古川では古くから、テンプラ=つかげ、と言われていたのですね。
いよいよ本題です。大西村の言葉・つきあげ、が、方言グッズ・豆つかげ、
に表れる言葉・つかげ、より古い言葉である事は書くまでも無い事です。
つきあげが連母音融合+短呼化すれば、つかげ、に変化し得るであろう事に
なんの疑問の余地もありません。
また、大西村では、古い時代の飛騨方言・つきあげ、
がいまだにつきあげである事の理由は、
早い話が、大西村が寒村だからですね。
飛騨方言の古語が残っていたというわけです。
問題は、高山・古川などのつまりは、飛騨の中でも都会で
ある場所で、どの位の年月が流れると、連母音融合+短呼化、
によって、つきあげ(古代の飛騨方言、実は現大西方言)>
つかげ(飛騨でも旧高山市などの町の言葉)、と変化する事が
出来るかという事ですね。
もったいぶらずに結論をお書きしましょう。
上記の小学館の標準語引き日本方言辞典は
戦後まもなく出版された東条操編・全国方言辞典の資料を
もととしています。つまりは、おそらくは、
テンプラ=つかげ、は戦前からの飛騨方言に間違いありません。
がしかし、それ以上の事はわかりません。
しゃみしゃっきり。
おまけ
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