"とてこっこ"は飛騨方言で鶏の事を示しますが実は"こけこっこ"が訛った言葉ではありません。
事実はその逆で、とてこっこが"こけこっこ"になったと考えられます。
山口仲美編"擬音・擬態語辞典"に詳しいのですが、
鶏の鳴き声の写し方は時代によって変化している。
江戸時代後期から ・・こけこうとなく(狂言鶯蛙(おうあ)集)・・がその例。
明治初めには・・滑稽稿(こっけいこう)と(西洋道中膝栗毛)・・、
明治中頃は現在と同じこけこっこー(尋常小学読本)・・。
・・鶏の時を作る声は室町時代までは、かけろ。
その鳴き声から鶏の事を、かけ、と呼んでいた。
室町から江戸時代までは鶏の声は、とうてんこう。
東天光、東天紅の漢字が当てられ、
東の天は光(紅)の意味を担った聞き方は秀逸。
の通りです。
さて以下は筆者・佐七の推察になりますが、
日本語における鶏の鳴き方の話言葉は江戸から明治にかけて
とうてんこう>とうてんこうこ>とうてんこっこ>とてこっこ>こけこっこ
と推移したものと考えます。従って、飛騨方言として残る"とてこっこ"は江戸時代から
明治にかけての共通語であったのであろうというのが筆者の主張です。
筆者・佐七の主張ですが、六拍"とうてんこう"に余分に
一拍付加したのでは、という意味は、七五調で
寧ろ言いやすかったのかも、という事です。
あるいは現代文でも"こっこっこっこっ、こけっこっこう"
と書きますので、"こ"の音が付加されても日本語のセンスにあいましょう。
ところが、とうてんこうこ、は瞬く間に廃れたのではと筆者は推察します。
少し考えるまでもなく語感の点で失格です。
要するに、ヌルヌル・ネバネバ、とろ味の感じにもなってしまい、
鋭い鶏の鳴き声に合わないのです。
筆者の主張は続きます。一世紀前後の間に
ウ音便が促音便に変化した感ですが"こけこっこ"という言葉で鋭い、切れのいい鶏の
鳴き声表現になり日本語の進化が完成したと考えます。
言い換えましょう、かけろ、が何故、とうてんこう、になったのか
筆者には不思議でなりません。
つまり、こけこっこは復古調ですね、と主張したいのです。
また進化の完成について付言しますと、
ご興味ある方は世界の言語で鶏の鳴き方を調べてみてください。
大半の言語がK音です。
尚、"とてこっこ"は飛騨以外には長野方言としてネット発信があります。
飛騨方言同様にいずれ廃れてしまうでしょう。
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