飛騨方言でも共通語に同じく、他動詞・あわす・あわせる、なのですが、
これに対する自動詞が実は問題です。
共通語・あう、に対して飛騨方言・あわさる、です。
古語では、他動詞・あはす・サ下二、および自動詞・あふ・ハ四、
ですね。
飛騨方言の自動詞・あわさる、がどのようにしてできたのか
考えて見ましょう。その前に、日葡辞書も引いてみましょう、
他動詞・あわする、がありました。
これでつまりは国語語彙史では中央では他動詞は、
あはす>あわする>あわせる、と変化した事がわかりました。
ところが自動詞は竹取の時代から
現代まで、あう、だったのですよね。
さて飛騨方言では近年に他動詞・あわせる、が
ちょいと訛って自動詞・あわさる、なったので
しょうか。そんな事は絶対にないでしょうね。
筆者の推察はつまりはこうです。
飛騨方言の自動詞・あわさる、は受身の助動詞「る」が古語の「あはす」、この他動詞に接続して出来た言葉でしょう。
英語を考えても他動詞の受動態というのは自動詞に
他なりませんね。つまりは、あはす・の未然形・あはさ+受身の助動詞・る
で、自動詞です。
旺文社古語辞典では、受身の助動詞・る、は中古から近代、と
記載されています。
つまりは日葡辞書で他動詞・あわする、があった時代あたりに
飛騨方言では、否むしろ中央でも他動詞の受身形・あはさる、
があったのでしょうね。
そして中央では、あはさる、は廃れて、あう、が残り、
飛騨では、あはさる、が残って、あわさる、になったのでしょう。
こう考えると筆者なりにすべて辻褄があいます。
ただしこのように生き延びた動詞は少ないのでしょうね。
古語で、こころかはす、とは、心を交わすと言う事ですが、
飛騨方言では、心ががわさっとる、とは言わないようで。
かよっとる、と言うのが普通でしょう。
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