共通語・たわけた、に相当する飛騨方言に、だばえた、があります。従って、たわけた、が語源なのでしょう。つまりは訛った言葉であろうか、という次第です。
ところで注意していただきたい事があります。たわけ、の語源説に、田を分ける事、つまりそのようにすると財力が落ち、家督をつぶすだけである、ばかげた事をするな、という説がありますが、民間語源のようです。正しい語源は、古語動詞・たぶ・戯ぶ、たはく(戯く)、
つまり戯れる事から来ているようですね。ところが名詞・たわけ、はこの動詞の連用形ではなく、
命令形から来たようです。
本題ですが、たぶ>たばえた>だばえた、と
変化したのであろうと考えると、ドンピシャリでは
ないでしょうか。
ところが、だばえた、の語源も立派な民間語源がありますから
事はやっかいです。つまりは、だばえた、の語源は、駄馬のような、
という説です。話が前後しますが、だばえた、は飛騨・東濃・木曽、
にまたがる方言のようですが、木曽は古来から木曽馬として
知られた馬の名産地、ところが実は飛騨こそが木曽に負けず劣らぬ
馬の名産地であったのです。
飛騨が馬の名産地であったのはただし、戦前まで。開田村には原家という
大富豪の屋敷があったのでしたが今は昔の話、また司馬遼太郎の、街道を行く、
にも飛騨が馬の名産地であった事が古典を引いて少し触れられています。
つまりは、大変な馬の名産地であった飛騨と木曽に、だばえた、という言葉が
あるわけですから、駄馬えた、という民間語源が
生まれても決して不思議ではありません。
がしかし、語源としては間違いという事なのでしょうね。
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