大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 語源

どさない

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造作・ぞうさない、が訛って、飛騨方言・どさない、 になるのですが、この言葉の語源を考える場合の キーワードは "暮らしの中の仏教語" です。 ご興味ある方はネット検索なさいませ。

そして古語辞典では、ざうさ、を引いてみてください。 元々は、意識して作り出す、という意味の仏教語にて、 多くの辞典に正法眼蔵の文例がありましょう。 ネット情報もあります。 鎌倉時代の中央の言葉であったというわけですね。

ところが中世にいたり意味が崩れてくるのです。 日葡辞書には、Zosano iru coto gia ぞうさのいることじゃ、 たいへん手間と出費などのかかる事である、との記載があります。 蛇足ながら同辞書には、 Zosacu ざうさく・造作・工事あるいは製作、 の記載もみられます。

更に時代が移り、近世から現代です。 飛騨方言では最早、名詞ぞうさ・造作、 を単独で用いる事がなくなってしまいました。 現代語・どさない、の意味は、なんでもない・ へっちゃらである・たやすい・困難を感じない・不都合を感じない、 などの意味で用いられましょう。

ただしこうなって参りますと本来の意味に回帰している ような感じがしますね。例えば、
 どさねが?
 (何か無理してなさろうとはしていらっしゃませんか?)
 (無理して毎晩かいとるんやろ。)

 どさねって。
 (どうって事は無い。無理なんかしてない、ご心配なく。)
 (たのしんどるんやさ。)
という意味になります。 さて仏教語ゆえ、全国どこの方言であってもおかしくないでしょう。 また宗派の違いをあれこれ検討しても方言学とは結びつかないのでしょうね。 しゃみしゃっきり。

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