大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

なぜ飛騨方言では画鋲をガバリと言うのか

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最近、気がつけば文法ばかりを書いていました。文法は確かに面白い、が文法だけが方言ではありません。やはり私にとって最大の関心事は飛騨方言の由来です。がでがある、またじする、冬やわいをする、等々あれこれなぞを解き明かしてきました。何か知らないが突然思いつくのです。前置きはさておき、これも洒落。

さて、なぜ飛騨方言では画鋲をガバリと言うのか、安易な結論ですが、画を張るから、ガバリ(画+自ラ五(自動詞ラ行五段)「張る」連用形)なのでしょう。表記は飛騨方言では画鋲ではなく、画張り、と書くべきです。一方、共通語では障子張り(はり)でしょうが、飛騨方言では、障子ばり、とは言わないと思います。尤も、共通語とて障子紙(がみ)、障子格子(こうし)、障子越し(ごし)、つまり「張」は「はり」なのか「ばり」なのか、つまりは連濁の法則としては、あいまいです。

結論を演繹しますと、イ行で終了する体言は、同じ語幹を持つウ行の動詞であろうと考えるのが無難です。つまりはガバリは画張りの事であろう、とは平凡すぎる考えですね。不肖佐七辞書からこの組み合わせを抜き出してみました。
あいきょ
わらい  > あいきょうわらい   笑う
なあらい > 晩秋に小川で漬物用
       の菜を洗う作業    洗う
にわい  > にぎわい       にぎわう
やわい  > 用意 準備      やわう
はばき  > 腰にまとう雨具の一種 はばく
げばし  > 失敗         げばす
ながし  > だいどころ(台所)   流す
にごし  > 米のとぎ汁      濁す
まわし  > 準備 用意      回す
いらみ  > おはじき       色む
がみ   > でこぼこ       がむ
しみ   > 寒気         しむ(古語) しみる
つつみ  > 溜池         (水を)つつむ
ひとくみ > ひとみしり      酌む
ぼぼみ  > 赤ん坊見物      見る
かねこおり> つらら        凍る
かねこり > つらら        凍る
がばり  > 画鋲         張る
かんなり > かみなり いかずち  鳴る
けぶり  > けむり        煙る
こけとり > キノコ狩り      採る
たまり  > しょうゆ       溜まる
としとり > 大晦日        取る
まんくり > くりあわせ      繰る
またじ  > 片付け        全しゅうする
ゆきまたじ> 雪降ろし 雪かき   全しゅうする
どうでしょうか、やはりどう考えて見ても、画を張るからガバリですね。また女性の方へ、小さいころよくイラミで遊びませんでしたか。実は私も。きれいに色んでいるから、やはりイロミ、じゃなかった、イラミですね。間違いありません。

蛇足ながら、音韻のニュアンスとしてはオノマトペ、つまりは擬態語とも考えられます。壁一面に張る場合がそうでしょう。古風な言い回しにはなりますが、共通語「がばり」は多量の水などが勢いよく一気に移動する様子を示します。現代では「がばっ」に取って代わられ、オノマトペ「がばり」は死語に近いようです。然しながら、つまりは壁一面にびっしりと画鋲が使われている場合などは「がばっ」と使われている、つまりは「がばり」と使われているから、という語源説としても良いでしょう。

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