飛騨俚言・がで は分量が多い状態を示す名詞です。
古語辞典になく、他地域で話されていない以上、語源を考えるのは至難ですが、
飛騨出身の筆者が推察、考察を加える事は地方文字文化の紹介という観点から、
有意義な事であると確信いたします。
がで、にはいろんな意味があり、順次考察しますが、あるいは共通語・使い出がもとの言葉であり、
飛騨方言の言い回し・がでがある(=分量が多い)、は、使い出がある、が
訛ったものであろうと私は推察いたします。
家庭の主婦が台所などでよく使う俚言です。思わぬ沢山のおすそ分けを隣家からいただいて、
"あーれ、こんねがでがあるで、すまんえな。(=あら、こんなに量が多くてすみません)"などと話します。
調味料の缶があり、使っても使ってもいつまでもなくならないので、
"小さい缶やね、わりとがでがある(=小さな缶なのに思いのほか分量がある)"などと話すのです。
正に、がで、は使い出、であり、がでがある、は使い出がある、という意味である事がわかります。
がしかし、いつの日からから、使い出とは言わなくなり、がで、という新単語が出来てから、がで、は
多い分量を指し示す俚言名詞となったのです。
この事の例をお示しいたします。
お皿に漬物が盛ってあるのを感嘆して、"おう、がでがある(=おう、沢山の量の漬物ですね)"というようになったのです。
既に、使い出、という意味はありません。
食べ出がある事も、がでがある、と言うようになったのです。
2リットルもの焼酎ピンをみて、"おう、がでがある(=おう、沢山の量の酒ですね)"ともいい、
飲み出があることも、がでがある、と言うようになったのです。
つまりは使い出、の意味で始まった、がで、と言う名詞が、
食べ出、飲み出、洗い出、教え出など、動詞の連用形に、で、を付加して
意味が通るもの全てに使用されるようになったという次第です。
体積だけではありません、面積に対しても、広い事を、がで、というようになりました。
だれそれさんの美田は、がでがある、とは面積をたたえているのです。
いずれ、長い事も、がでがある、と言うようになるのかも知れません。
教え出があるために、がでがある、といえば、さしずめ宿題の量、とか教科書のページ数、などを指し示しましょう。
観念的なものに対しても、がで、が転用されている、という事です。
がでなお礼、とは、過分なお礼の意味になりましょう。
究極の飛騨俚言として、がで、を比喩、メタファー、として用いる事が可能です。
例えば飛騨出身の漫才コンビがいるとしましょう。
顔がとにかくでかい相棒を指して、"わりゃ、ほんとうに顔が、がでやな(顔の面積が大きい)"
といえば、飛騨の聴衆は爆笑です。飛騨方言がわからない方はキョトンです。
また、漫才ですので、人間の身体的欠陥をあげつらう事に問題はありません。
がしかし一般論としては、隣の奥さんの胸は、がでがある、と思っていても口には出さないのが無難です。
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