みえる・自ラ下一、とは名古屋方言や飛騨方言の言いまわしで、していらっしゃる、
という意味の尊敬表現です。
みえる、の語源は、古語動詞・みゆ・自ヤ下二、である事は書かずもがな。
古語動詞に、見る・他マ上一がありますが、これは現代語に同じという事で、
このあたりを混乱してはいけない、という事になります。
とにもかくにも、古語動詞・みゆ・自ヤ下二、が現代の名古屋方言・みえる・自ラ下一、
になったのですが、自動詞が自動詞になった、下ニが下一になった、という事で
当たり前の事でしょう。二段活用の一段化です。
古語動詞・みゆ、の意味は何でしょう。
これも古語の最重要品詞ですから高校生の皆様なら誰でも知っている事、
意味は多いのですが、そのひとつが、居る・来るの尊敬表現です。
平安時代からの言葉です。
現代語としては、尊敬表現・みえる、はかなり廃れてしまいました。
東京界隈では、いらっしゃる・おられる、等の言い方が普通なのでしょう。
従いまして、東海地方においては、なにかにつけ、してみえる、という
言い回しの尊敬表現を用いるのが少し奇異に感ぜられる、という事では
ないでしょうか。
ただし、例えば、
どなたもみえません。
と言えば、日本人なら誰でも使う言葉、と言えましょう。
当サイトでも、みえる尊敬表現を東海方言として扱い、
気がつく限りを記載して参りますが、筆者の本心といえば、
みゆ、と、みる、では大違いなのだから
当たり前の事ですが、みえる尊敬表現は方言ではありません。
これは古語・みゆ、なのです。
古語・みる、の誤用であろうかと勘違いする所に間違った方言意識が
生ずるのです。
|