別稿に飛騨方言終助詞・ならんを紹介していますが、
その成立過程について筆者なりに考えるところがありますのでお披露目します。
題して "飛騨方言終助詞・ならん、成立の謎解き" ですが、実は結論としては簡単なものです。
それは、飛騨の人達は、にゃな、という言い方がとても言いにくかったから。
詳しく説明いたしましょう。飛騨方言終助詞・ならん、ですが、〜ねばならない、という意味の終助詞です。
例えば、行かならん、といえば、行かなくてはならない、という意味です。
また、行かならん、は元をただせば実は、いかにやならぬ、が訛った言葉です。
ところで飛騨方言では動詞の仮定形が、〜ば、ではなく、〜や、の形になり、助動詞の仮定形も多くが、〜や、の形です。
否定の助動詞・ぬ、もご多分に漏れず、〜ねば、とならず、〜にゃ、と活用されます。
この、にやならぬ、という言い方が古代の飛騨の人達にはなんともはや言いにくくて、結局、にや、の部分を省略してしまったのです。
しかも意味はそのまま残して、です。
省略する前の人達は、にやならぬ、と発音して、ねばならない、という意味で使っていました。
にや、を省略した人達は、ならぬ、と発音して、ねばならない、という意味で使って今日に至ったという次第です。
もうおわかりですね。にやならぬ、という表"音"文字が、ならん、という表"意"文字に化けてしまったのです。
なにせ表意文字であるし、たったの三文字だからこの言葉をうかつに活用でもしようものなら、
またまた意味がわかりにくくなってしまいます。
だからうかつに活用できない、結局は誰もが活用せず今日に至っています。
かくして、方言助詞・ならん、が成立したというわけでしょう。
勿論、ある時代に突然に、にや、が消滅したわけではないでしょう。
いかにやならぬ>いかにゃならぬ>いかなならぬ>いかなならん>いかならん
とでも変化してきたのでしょう。
表音文字が表意文字に変化したのは、いかなならん>いかならん、の時点であろうとも考えられます。
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