大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

おり・飛騨方言、の語源に関する一考察

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共通語・俺おれ、の事を飛騨方言では、おり、というのですが、その語源は、己おのれ、にある事は書かずもがな、古語辞典では最重要品詞でもあり、中古の文学にいくらでも出てくる品詞というわけです。

早速に本題ですが、おのれ>おれ>おり、と訛ってしまった時代というのは、ふーむ、何時頃なのでしょうねえ。

詳しくは山口佳紀編・語源辞典をお読みあれ、オレは既に上代、中古に例があり、対称の代名詞として相手をののしる意味で使われており、自称としての用例が現れるのは中世になってからの事だそうな。おのれ、きさまあ、などと鎌倉時代の侍どもが言いあっていたのでしょうね。

かってな想像ながら室町時代あたりに飛騨方言では、おり、になってしまい現代に続くのでしょう。それでも結構古い言葉という事になりますね。オレとかボクとか言うのであるいは若しや明治時代からかな、とか、江戸時代からかな、などというのは大間違いと言う事になります。

ひとつ気になるのが、どの古語辞典にも記載されている反射代名詞という述語です。同語については若干のネット記事もあり、国文法の専門書にも記載があります。やや衒学的な言葉でしょう。定義は、一度現れた名詞、あるは潜在的に存在する名詞を受けて、それ自身である事を示す代名詞です。田中義廉(よしかど)・小学日本文典(1874)に reflective pronoun に習って復帰代名詞として考え出されたものです。様々な呼称があり通説はありません。

昔、こんな歌がありました。
僕の名前を知ってるかい
朝刊太郎というんだぜ
これを飛騨方言に訳しましょう。
オリの名前を知っとるがい
朝刊太郎というんやさ
つまり、オリが出現した後に朝刊太郎が定義されるのです。若し、反射代名詞というものがあるのなら、
朝刊太郎を知っとるがい
オリの名前をいうんやさ
という歌の文句でなくてはならないはずですね。オリの名前というんやさ、では文章にならない事も考えてみてください。ズバリ、反射代名詞という概念そのものが怪しいとも考えられます。けれど、毎日、皆がさりげなく使っている極めて頻度の高い言葉・おり、実はその本質は反射代名詞という事が国民の皆様はおわかりでしょう。

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