大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 語源

てきないの語源・佐七の珍説

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いきなりぶっそうな出だしのほうが読者をひきつけやすいのでは、 いつもの佐七節でごめんなさい。 ところで皆様、バスガイド語源、という言葉をご存知でしょうか。 バスガイドさんのご職業は言葉のマジシャン、学問はいざ知らず、 皆が、ははは・なるほどね、と笑ってくださる為のお仕事、 つまりはガイドさんのマニュアルを書く方もその点は心得ていて、 皆がガハハと笑う手引きを書かねばならないのです。 悲しからずやウグイス嬢、ガイドさんは実は原稿を読み上げる単なる下請け業です。

さて本題ですが、たった今、ゴーストライター佐七が思いついたバスガイド語源・てきない、 とは。 その前に、そもそも飛騨方言・てきない、とは、つらい・苦しい、という形容詞です。 語源は、大儀ナリ、これ以外には考えられません。 がしかし、それは学問のこと、 本題はバスガイド語源ですが佐七の珍説はズバリ、 てきね・手杵。

手杵とは、江戸末期から明治にかけて、広瀬郷の知識人・大坪ニ市が著わした農業技術書・農具揃え、 に出で来る単語で、中央のくびれた部分を握ってひく臼の事のようです。 てきね、はライマンの連濁の法則により、てぎね、になります。 つまりは、とても骨の折れる仕事が、てぎね・手杵、の仕事というわけです。 なんともはや、寂しい限りの親父ギャグでした。 それでも皆様、実際に臼をひいてごらんなさいな。 てきない=てぎね・手杵、絶対に笑えますって。 落語の話になってまうんやけど(=なってしまうのだが)。

そもそもいったい全体、江戸時代の大坪ニ市ってなんぼの人ですか。 佐七以外に江戸時代の飛騨方言にどなたがご興味ありましょうか。 日常生活に関係ありませんものね。 こんな記事に笑ってくださるのは、濃飛バスのガイドさんでも誰でもなく、 たまたまご覧になった岐阜県ミュージアムあるいは飛騨の里の学芸員の方 だけかも。冒頭に戻って、一番笑ってくださる方が県職員のU先生でしょうか。

突然にまじめになりましょう。 江戸時代の飛騨の人口比率です。 士農工商の時代でしたが、士といえるのは陣屋のお代官様とその家来数十名、 つまりは江戸時代には飛騨には武家社会はなかったも同然です。 天領飛騨で武士に刃向えば徳川軍団の攻めに会う、 悲しや江戸時代の飛騨の農民、絶対多数であってもお上には絶対に逆らえなかったのです。 そして工商もわずか、つまりは江戸時代は99%が農民であったと言えば言いすぎでしょうか。

佐七は叫びたい、飛騨方言の主役は飛騨の江戸時代の農民なのです。 ところが、てきない=大儀ナリ、これは武家の言葉です。 賢明な方には書かずもがな、てきない、という飛騨言葉の発祥は江戸時代の陣屋界隈に絶対にまちがいない。 これが、てぎね・手杵、の飛騨の農民に結構、受けてしまったのです。 このように考えると学問的にもドンピシャリ、 佐七自身が妙に納得しています。 そしてU先生もつられて拍手、かな。

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