今日の話題は、飛騨方言ではもちごめ・ただまい、というが、
何故もちまい・ただごめ、と言わないのだろう、という
事です。
さて、飛騨ブランドのもち米(ごめ)にその名も
たかやまもちがある事を
紹介しました。もち米に対して、毎日食卓に上る所謂食べる米・うるち米、
の事を飛騨方言では、ただまい○●●●、といいます。
漢字は只米を充てるべきでしょうか。
共通語・うるちまい、ですが、古語に、うるしね(和名抄)、があります。
ただし語源辞典をみますと、ウルハシイネ(日本釈名)、サンスクリット語・ウルヒ、
台湾語南方諸国語・ブラス、ブラチ等々、の紹介あり、真相は闇の中。
飛騨方言のただまい、はこれは筆者が肌で感ずる言葉ですから、
これはもう、もち米ではない単なる米、という意味で只米という
意味でしょう。
居候三杯目はそっと出し、という意味のタダ米ではありませんね、ふふふ。
でも飛騨ではもちごめというのに何故ただごめ、と言わないのでしょう。
実はうるち米を何と言うか、各地の方言を調査すると、鳥取方言などは
ただごめ、のようです。
その一方、飛騨ではもちごめとは言うが、もちまい、とは
言わないのではないでしょうか。ところが全国の言い方を
調査しますと、もちまい、もちゃんとあります。
なぜその言葉が使用されないのか、という命題ですが
やはり同音異義語による意味の取り違えを嫌う、という事
があるでしょうね。ややこじつけにはなりますが飛騨方言では
棟上式(建前、たてまえ)を、たちまい、というのです。
冒頭の疑問に対する答えはひとつ。
勿論、答え・つまり真実は単なる偶然です。
答えはつまり理由など無し。
例えば、なぜねずみはぞうより小さいのに小さい鼠が三拍で大きい象が
二拍なのだろう、と真剣に悩んではいけませぬ。
しゃみしゃっきり。
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