大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ゴボウの飛騨方言

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私:ゴボウ牛蒡はキク科の二年草。牛蒡は漢名だ。また実の漢名は悪実という。別名がうまふぶき、きたきす。飛騨方言は、ごんぼ。
君:ほんのちょっぴり訛っているだけの話じゃないの。
私:その通り。実は、ゴボウの方言量は極めて少ない。ゴーボ、ゴッポ、ゴボ、ゴンボ程度。当然ながら皆が広域方言といいたいところ。なかでもゴンボは最も広域の方言。
君:うまふぶき、とは?
私:ははは、これは、うまふふき、つまりは、うま馬+ふき蕗、から来ているね。牛蒡は蕗より大きいという事で、馬、というのはとても大きい事の例えだろう。古典には出てくるが方言には出てこない。蛇足ながら、古語辞典では、ごばう。
君:なるほどね。では、きたきす、は?
私:本和名抄に出てくる。それ以上の事はわからない。ごめんなさい。
君:別にいいわよ。今夜は平凡なお話ね。
私:真宗大谷派高山別院照蓮寺、略して高山別院、別名が飛騨御坊だが、こちらは、ごぼさま・ごぼうさま、と呼ばれて親しまれている。ごんぼ、にはならないね。
君:それは改まった気持ちで話す言葉だからよ。畑に生えているものとは別格だわ。
私:その通り。ここからが、いよいよ方言学だが、実はゴボウ牛蒡は、いろんな意味、つまりは隠語、どちらかというどころか、ほぼ百パーセントが悪い意味の隠語で使われることがある。飛騨方言では、あいつぁあゴンボや、とか、あそこの家はゴンボダネや、とか。
君:うーん、なんだか人を卑しめていう表現のようね。
私:その通り。一種の精神病、およびその系統の家、という事で、愛憎の念によって相手に精神的なダメージを与える気質、一度それに憑かれると牛蒡の種のように容易に離れない事からきた言葉だ。また一説には加賀白山の護法種・護法附に由来するとも。いずれにせよ飛騨独特の迷信。
君:心理学における嫉妬の概念と同じことじゃないかしら。
私:まあ、そんな感じだね。牛蒡には他に隠語の意味として幾つかあるが、御免なさい、教養が邪魔をして、どうしても書けません。話を変えよう。飛騨御坊が出てきたので、仏教的解釈なんてのもどうだい。要するに人間というものは欲の塊で、これをお釈迦様は五欲とお呼びになった。
君:なるほどね。名誉欲とか、金欲とか。
私:いやいや、僕にはそんなものは無い。僕の悩みは食欲と色欲だ。美味しそうなものを見れば食べたくなるし、美人とすれ違うだけで瞬殺技で心を奪われてしまうので困っている。
君:更に悪いことに、佐七君って、若しかしてゴンボダネ?
私:ああ、勿論。他人様がうらやましくて仕方ない。我ながら情けない。
君:あら、そんなふうには見えないけれど。いつから?
私:生まれた時からです。
君:えっ?初耳ね。ついこの間は、生まれた時からビートルズファンだ、っていってたわよ。ほほほ

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