大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ウマノアシガタの飛騨方言

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私:ウマノアシガタ馬足形(別名はキンポウゲ)はキンポウゲ科の草本だ。飛騨方言では、おこりばな、こんぺんとぐざ、てはればな、てやきばな、と呼ばれている。つまりは飛騨では方言量は4。全国的には方言量は65だった(八坂書房・日本植物集成)。
君:あら、飛騨方言って多いわね。方言量の65って、どちらかと言うと少ないほうなんでしょ。
私:おっ、するどいね。その通り。方言の世界では方言量が100以上の草木が当たり前、だから65は、まあ、多くはない数字という事になる。ところが飛騨という地域に限ると方言量が4。これは多い数字だ。
君:そこからどんな事が考えられるのか、とでもおっしゃりたいのね。
私:その通り。
君:簡単に結論を書くべきよ。お忙しい読者の皆様が多いのだから。
私:うん。ウマノアシガタの語源は葉の形からの連想。別名が、こまのあしがた、とりのあしがた、ひとで、などがある。飛騨方言も葉の形からの連想だろう。金平糖とか、手とか。そういう細かい事はおいておいて、要するに飛騨は馬の文化があって、飛騨の村々で沢山の馬が飼われていたから、という事だろう。
君:うーん、つまりは方言の研究、つまりは言葉の研究には人々の暮らし、つまりは民俗学の理解がなくては、という事ね。
私:その通り。これをと唱えたのが柳田國男だが、戦後に方言学は民俗学と分離されてしまい、純粋に国語学の下位分類の学問になった。そこで重要視されたのが、音韻の問題とか、アクセントの問題とか、方言の研究に民俗学を持ち込む事は邪道、というような風潮が生まれてしまったんだよ。
君:今日のお話は単純ね。キンポウゲの名前の由来は葉の形から。馬の足跡に似ているし、飛騨のキンポウゲの方言量が多いのは飛騨はかつて馬の文化の地方だったから。
私:その通り。
君:でもエビデンスをお示しくださらなくちゃ。
私:今は飛騨のどの村々にも馬はいないだろう。だが然し、僕が子供のころ、僕が生まれ育った村には相当数の馬がいた。村には大きな牧場があった。久々野という中心地域には毎年、馬市が開かれていた。大正生まれの私の父だが、村から川上の秋神という部落まで何頭もの馬を放牧のために連れて行った事を僕に話してくれたことがあった。
君:なるほど。戦前あたりのお話ね。
私:時代が代って今は飛騨に馬はほとんどいない。言葉だけが残っている。
君:親の記憶もしっかりと残っているという事よ。ほほほ

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