大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

エアロビクス普及委員会・あんばいよう、やわいないよ

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あんばいよう、やわいないよ、という飛騨方言の言い回しが佐七にはビビッときました。発信は、エアロビクス普及委員会、という方です。 fanafufuuhu というネット名ですからご夫婦でエアロビクスをしていらっしゃるのでしょう。

さて表題は、うまく準備しなされよ、という女性言葉です。男性は決して用いません。 命令形の言葉というよりは、勧誘のいいまわしでしょう。 飛騨方言の文法は関西系で、あんばいよく、はウ音便で、あんばいよう、になります。 やわいないよ、の元々の意味は、やわいなされよ、です。 問題となるのが、やわう、という動詞ですが、準備する、という意味の俚言動詞です。

やわう、の語源を考えると夜も寝られなくなりますが、和す・やわす、がおそらく語源なのでしょうね。 ここに出てくるのが、古代の助動詞・ふ、です、未然形に接続して、〜しつづける、という意味に なります。たたかう、などという動詞は、叩き続けるという意味から出来た言葉なのです。 つまりは、やわしつづける、という意味なら、やわふ、になります。つまりは、 和らげ続けるという事は、気持ちを次第におだやかにさせる、という意味です。

祭りのやわい、あれこれ大変ですが、やはり楽しい準備には違いない。 冬やわい・つまり冬支度、これも厳しい冬を和らげるための準備、という 意味ですね。

ところで筆者は、なまじ飛騨方言の古典的な言い方にこだわるあまり、冬やわいなら意味が通るが、 春やわいという言葉が、どうにもこうにも感覚にあわないのです。 飛騨の冬は厳しい、春が近づくと自然に心はなごんでくる。当たり前ですね。 ただし、人間が自然に対処したわけではありません。 理屈をいうならこうです。冬やわい、これは冬をやわす事、つまり、やわし続ける・つまりは、やわう、事。 ところが春の場合は、春にやわされる、つまりは、やわうのではありません。 つまり冬やわい、これは人がやわう。春やわいという言葉は、しいて言えば自然がやわう、 という事になりましょうか。 ですから、どう考えてみても、春やわい、という言葉はミスセンスです。

それでも、元々の意味がなくなってしまってただ単に、やわう=準備する、という 意味になると、春こそ、やわい、つまりは入学の準備の季節だったのですね。 しゃみしゃっきり。

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