大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言文末詞・ず、に関する一考察(2)

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私:飛騨方言文末詞・ずのお話の続きという事で。
君:日本語においては文末詞こそ方言の核心部分という事よね。
私:おっしゃる通り。文末詞がマスターできれば方言教室の卒業生です。
君:まだまだ授業は続く。
私:然り。上記の別稿では特定の文末詞、例えば何か後行成分が「ず」に接続すると瞬時に意味が変わる事を話したでしょ。
君:ほほほ、では今回は、接続則における前行成分の内容のお話ね。
私:その通り。例文と参りましょう。佐七はパンのみにて生きるにあらず。佐七はパンのみにて生きるであらず。この飛騨方言、どう思う?
君:つまりは二文は同じ意味ではないのよね。前者は、生きるために食べるのだ、という意味よね。
私:そう、そして後者は、食べる事は実に楽しい、という意味。大のパン好きの佐七は毎食がパンでもオッケー、彼はパンだけで生きていくでしょう、という意味。
君:ほほほ、でも、佐七はパンのみにて生きるではあらず。だったら、やはり、生きるために食べるのだ、という意味になるのよね。
私:ははは、からかいやがって。そうだね、僕はパン食は苦手だし、三度の飯よりもこの飛騨方言の原稿を書く事が楽しい。とにかく、この飛騨方言、というか日本語の言い回しは前行成分が何か、という事で意味がころっと変わるね。
君:ははは、あらむとす・あらず、などという文語調はほとんど死語だから、誰も困らないわ。
私:いやあ、昔は困っていたから「ある・ない」に変わっちゃったんだろ。さて、君は模範解答を既に書いた。
君:どういう事。
私:つまり、佐七はパンのみにて生きるにはあらず。佐七はパンのみにて生きるではあらず。この二文は同じ意味、つまりは、〜はあらず、は禁止の意味で意味が確定している。
君:なあるほど、元々の意味を考えて省略された言葉を類推すればいいのよね。佐七はパンのみにて生きるであらず。= 佐七はパンのみにて生きる事なのであらず。という意味よね。つまりこの意味は、食べるでしょう。
私:そうさ。結論だが、〜であらず・〜ではあらず、この二者は正反対の意味だから、言い間違えてもあわてずにその場の雰囲気を読んで、飛騨方言の会話の流れを読んで、会話をリードしていけばよい。
君:あなたはそれが言いたかったのであらず。難しい話にしようと思ったのではあらず。つまりは私はこんな風に会話の流れを締めくくった、って事よね。

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