大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考 |
西忍村(にししのぶむら)の大蛇伝説 |
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初恋の君へ 毎日、なにがしかの飛騨のネット情報を探し当てたり、方言学の学術書を拾い読みしたり、せっせと原稿を書く毎日ですが、先ほど、第23回岐阜県民文化祭・ぎふ文化の祭典 ひだ・みの創作オペラを発見して、いやあびっくりしました。出演なさっていたのですね。いち早く知っていたら絶対に花束を持って楽屋におじゃましていたのに。貴重なチャンスを逃してしまいました。 全国の皆さまに簡単にお披露目しましょう。彼女と私は同郷の同級生です。小学校か、中学校か、高校か、それは皆様の想像にお任せします。彼女は以前には当サイトを熱心に読んでくださって、メル友といってもよかったのですが、それはヤフー社がサーバーだった当サイトが発足当初のざっと15年ほど前の事、その後に音信は途絶え、あまつさえ三年前の同窓会では彼女は欠席なさいました。聞けば、ご主人がお亡くなりになりご自宅に閉じこもりがちだ、と参加者の誰かからの言葉に私は宴会どころではなくなり、大変につらい同窓会でした。今、二人は66歳です。彼女には還暦の時の同窓会以来、つまり6年以上もお会いしていません。今年あたりに同窓会の案内が来るだろうと心待ちにしていたところだったので、先ほどオペラ出演者に彼女の名前を発見した時の私の喜びは言葉で表現出来ません。ふふふ、弁護士の娘さんの後押しだったのかな、立ち直っていらっしゃるようです。次回の同窓会では必ず彼女に会えるでしょう。 さて、同窓会の有難い事は、彼女と私のように、元気にして長生きさえしていれば必ずまた会えるという事ですね。それが先輩、後輩ともなると、あるいは恩師も、学窓を離れてしまえば一生涯、会えないのが世の常です。出身校・斐太高校の卒業式に「白線流し」があって全国的に有名ですが、同級生とは再会を誓う希望の劇ですが、実は先輩、後輩、恩師とは今生の別れの悲劇です。 本題に参りましょう。オペラの演目は「西忍池」。村の名前が「にししのぶ」ですから、「にししのぶいけ」と呼ぶのでしょうね。実際には存在しない幻の池です。西忍の場所は岐阜県飛騨市宮川町西忍です。ネット地図を見ますと西忍の環状集落は宮川の往古の河跡湖である事は明らか、西忍という地名からは血の涙が見えてきます。水害と闘いながら干拓をして遂には肥沃な村になったのでしょうね。従って今や西忍の集落に大きな池はありません。 実は牛山山麓に「あわらの池」という大きな三日月湖がかつてあったのです。大蛇が人身御供を要求したという西忍村の伝説は、この「あわらの池」を舞台にしています。正しくはオペラ「あわらの池」でしょうし、「あわら」の由来は、湿地帯のアシの原でしょうね。ただし、この池は水田としては排水不良の深田であったため、大正11年から八年がかりで大規模な排水工事が行われ、池は消失、昭和48年には更に農地の集団化が進み、現在では池の面影すら知る事は出来ません。 ただし、池は無くなっても伝説は今に伝わり、オペラ「西忍池」と今日の偲ぶ原稿になり、ご主人に先立たれ御隠れになったサイト管理人の初恋の君が今はもうお元気である事を知る手がかりにもなりました。・・私は今、幸せです。同窓会でお会いしましょう、という励ましの手紙を書こうか書くまいか、散々に悩んでいた昨日までの私でしたが、書く必要が無いと判明したので。六年も音信不通の彼女に当サイトの情報はおそらく届かないでしょうが、そのような事は問題ではありません。本日、あなたの心に届いたのでそれで十分です。なお、私ども夫婦にはタブーがありません。同窓会に出席する時は、私は家内に「では、元カノに会いに行きます」と言って家をでます。 |
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