飛騨には数々の伝説がありますが有名なものをご紹介しましょう。
- 孝池水(こうちすい)孝子ケ池(こうしがいけ)
- こくふ昔ばなし
- 西忍村の大蛇伝説
- うさぎの馬場(ばんば)伝説
- ちんまが池伝説
- 杣ヶ池伝説
- 小糸伝説
- 美女伝説・美女餅伝説
- かまいたち
- 両面宿儺伝説(高山市丹生川町)
"『日本書紀』は仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・タケフルクマが飛騨国の怪人・宿儺を退治した話を伝える。
「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」"
(http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/gamen.htm)
- 国府伝説(高山市国府町)
国分寺のある高山市ではなく、かつての吉城郡広瀬郷山崎に国府があったのかも知れないという言い伝え。何も証拠は無いが
明治八年に村の名前を国府村としたために、情報がいよいよ独り歩きしているという可笑しな伝説。
- 位山伝説(高山市一之宮町)
"(「宮村紀要」より)宿儺討伐の官軍が、美濃高沢山に陣を布くと知った宿儺は、直ちに位山に登り、官軍の将雄仁(武振熊か)に使を送った。"
(町川 克已(古川小学校 教頭))
- 白鷺伝説(下呂温泉)
"文永2年(1265年)、薬師如来が傷ついた1羽の白鷺に姿を変え、
飛騨川で傷を癒し、源泉のありかを村人に知らせたと伝えられています。"(下呂ロイヤルホテル雅亭 下呂温泉情報)
- 白猿伝説(平湯温泉)
"そのむかし、信濃の国で上杉謙信とひどい戦いを続けていた武田信玄は、越中を手に入れようと考え、飛騨を攻め入ることにしました。大将山県昌景は、たくさんの軍勢を引き連れて峠越えをしましたが、頂上を越える頃には皆疲れきっており、その上硫黄岳の毒霧が出て、倒れる者が続出。
やっとのことで平湯あたりに着いた時、老いた白猿が皆の前を歩いて道端の湯に導いてくれました。そこで皆、我先にと猿が教えてくれた湯に入って疲れを癒し、みるみるうちに元気を取り戻しました。
この話があちこちに広まって、遠くから平湯を訪ねる人が多くなったそうです。"
(奥飛騨温泉郷平湯温泉ひらゆの森)
- 平家落人伝説(白川郷)
"先祖伝来の暮らしを象徴する合掌家屋はダムの底に沈んだり売却されたりして、37棟が村外に流出し、1967年(昭和42)には村の最北西に位置していた加須良(かずら)集落が集団離村。平家落人伝説を秘めた自給自足の集落が消滅した。"
(飛騨総合ポータルサイト(財)白川村緑地資源開発公社 「野外博物館合掌造り民家園」 事務局長中川満さん)
- 帰雲城伝説(白川郷)
"「かえりくも城」と読みます。 この帰雲城が有名になったのは全国の
多くの城郭とは異なり、「地震」と言う天災によって落城してしまったことと、
城郭だけではなく、城主「内ヶ島氏」一族をも同時に飲み込まれてしまった事、
さらには内ヶ島氏は大量の金を保有していたはず!と言う埋蔵金(埋没金)の
存在があるからです。"(白川郷帰雲研究所)
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