大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム <伝説/td>

孝池水(こうちすい)孝子ケ池(こうしがいけ)

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私:昨日は奥飛騨へソロツーリング、帰り道は41号線を南下、下呂温泉を通過してまもなく飛騨木曽川国定公園・孝子ケ池で一休み。
君:よく寄る所なのね。
私:いや、生まれて初めて。故郷・高山と名古屋の中間だから学生時代以来、数限りなく素通りしていた訳だ。
君:昭和に名勝地指定で、下呂ではちょいと知られた伝説ね。
私:益田清風高校の教材にもなっている(ここ)。国語教育の一環だろうか。
君:簡単な話の紹介をお願いね。
私:昔なあ、門原(かどはら)に孝行息子がおったんじゃさ。病弱の母を思ってなぁ、琵琶湖で水を汲んで帰りょった時なぁ、村の手前で訃報を聞いたんじゃとよ。汲んで来た水と息子の涙が混じって大きな池が出来たんじゃとよ。しゃみしゃっきり。
君:存在表現(おる)、断定(じゃ)文末詞(さ)、アスペクト表現(帰りょうる)、体表的結末句(しゃみ・・)。
私:君も方言学用語が最早、自由に駆使できるね。飛騨の昔話にはしゃみしゃっきりは必須だね。
君:ネット情報も多いでしょうね。
私:ああ、勿論。多いのは旅行記だね。名物・語り部おばさんがかつて売店を営んでおられたようだが、既に閉鎖のようだった。
君:門原左近という具体的な名前が出ているけど。
私:真偽のほどは如何なものか。伝説は伝説。
君:流石に門原(かどはら)の地名はどうかしら。
私:角川日本地名大辞典によると、文献に現れるのは江戸期から。斐太後風土記によれば、地名の由来は、クズの繁茂する原の意・葛原の転化したものか、との記載だ。
君:今回も国立国会図書館デジタルコレクションが大活躍ね。文献的には門原ではなく葛原。
私:伝説は伝説。明確な史実も無い。誰にも真実は判らない。そんな事より・・
君:えっ、なにか。
私:「こうし」ではなく一瞬、「たかこ」かと思ったんだよ。
君:ほほほ、普通はそのように読むわね。でも実は、父母の霊を祭る時にその墓碑銘に署名する自分の名の上に付ける語。
私:新旧仮名辞典をみたら孝行は「かうかう」だった。
君:慣れが必要ね。
私:「こう」「かう」「くゎう」どれか迷う事が多いんだよ。
君:ほほほ。
私:「かうち」も「かうし」も古語辞典に無い。
君:あら孝子「かうし」は平家の第三巻にあるわよ。
私:そうだったか。池塘春草夢。ちとうしゅんそうの夢。少年時代の夢。もっと古文・漢文を勉強しておくんだった。食わず嫌いでは無かったので。古典数学をやり過ぎた。
君:少年易老学難成。
私:今、ようやく源氏を開始。
君:あら、池塘春草夢は?
私:唐詩選。高3で独学。スラスラ読めた。あのまま続けていればねぇ。
君:ほほほ、一寸光陰不可軽。

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