大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法 |
飛騨方言動詞の可能表現 |
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私:今日の話は動詞の可能表現だが、昨日来、此の事を考えていて、ああ・そういう事か、と気が付いた事があるんだよ。 君:ほほほ、思わせぶり。飛騨方言を御存じない方には極力、文例でお書きなさったほうがいいわよ。 私:じゃあ、早速。僕の妻だが、生まれも育ちの名古屋で、一度も他所に出た事がない。僕とて同じ事、高校まで飛騨、その後はずうっと、ざっと50年、名古屋だ。 君:だから、文例は? 私:「覚えられる」つまり「覚える事が出来る」という意味で「おぼわる」というのだが、これは中部地方に特異的な言い回しで、夫婦で会話をしていて方言を話しているという意識が無い。 君:「気づかない方言」という現象よね。今まで、沢山書いてきたわね。 私:文例ならいくらでも。例えば「食べる事が出来る」は「たばる」という。他にも「鍛える事が出来る」は「鍛わる」等々。 君:あなた、過去にはこれを下二段動詞の五段化による可能表現とかなんとか、得意げに書いていなかった? 私:ああ、その通り。これまで方言学の専門書を買い漁り、特に中部や岐阜県、飛騨について書かれた書についてはせっせと買い集めてきたし、そのような専門書に国語学の専門家の学者様がたがお書きになっていた事を紹介したまでの事。 君:「他人のふんどしで相撲を取る」と言うのよ。あなたのような素人には一番にいい方法なのよ。 私:ははは、その通り。でも、そのような専門書とて間違いがないとは言えない。後の世に批判されるのは論文の宿命だろ。 君:ほほほ、何か思いついて新説を今日は披露したいのね。 私:ひとつ気が付くと、あとは、そうか・そうか、と芋づる式に謎が解ける事もあるが、今日は「おぼわる」に限ってお話しさせていただこう。 君:大抵の皆様は「え」が「わ」に変化した単純な現象とお感じだわよ。 私:その通りだ。だが、その昔に、或る時代にポンと突然に変化したわけであろう事くらいは想像がつくよね。しかも動詞の活用に関する問題だから、きちんと古語文法に従った説明がないと誰も納得はできない 君:ははぁ、可能の助動詞「ゆ・らゆ・る・らる」あたりに議論を引っ張り込もうとする戦法ね。 私:いやあ、鋭い。その通りだ。答えは正にその通りなので、では、おしまい。 君:ふざけないで、きちんと説明してちょうだいよ。 私:勿論だ。平安時代の気持ちになって「おぼわる」を品詞分解すると「おぼゆ覚、下二」+可能の助動詞「ゆ・らゆ・る・らる」だよね。 君:そうね。「ゆ・らゆ・る」は四段動詞未然形に接続、「らる」だけは四段動詞以外の未然形に接続するわけだから「おぼえらるる」になるわ。 私:そうでしょ。ははは、まんまとひっかかったぞ。 君:えっ、どうして?あなたの言語脳に付き合いきれない。 私:動詞も活用するし、助動詞も活用する。「おぼゆ」も「らる」も共に下二段活用だよ。 君:なるほど、盲点ね。「おぼえらるる」で意味は通るけど、下二段から一歩も抜け出ていないのね。うーん困った、どうしよう。 私:実はね、その点について僕もこのサイトを開設以来、十年以上も、気づかないでいたんだよ。勿論、方言学の専門書の著者の方々もその辺は気づいていないね。 君:なにか、素敵な説明があるの?それをあなたは昨日の原稿を書いて、その後、つまりは一日内に気づいたの? 私:ははは、気づいてしまった。もったいぶらずに結論を急ごう。「おぼわる」の元の言葉は「おもふ思・他動四」の未然形+可能の助動詞「る」なんだよ。 君:へえ、なるほど。「おぼへ・らるる」ではなく、つまりはハ行がワ行に移行して「おもはる」から「おもわる」となったわけね。 私:「おもわる」が「おぼわる」になった現象は説明するまでもないね。 君:子音交替なら、全国どこの方言にでもあるのよね。母音交替とは根本的に違うわよね。 私:「おもふ思」と「おぼゆ覚」の関係はどう思う? 君:共に上代からの言葉よね。それでも「おぼゆ」の成立は「おもふ」の未然形+上代の自発の助動詞「ゆ」、つまりは「おもはゆ」「おもほゆ」「おぼゆ」と変化してきた言葉だから、「おぼゆ」に比して「おもふ」は圧倒的に古い言葉というわけよね。 私:その通り。ぶっきらぼうだが仮に「おもふ」は奈良時代の言葉で、「おぼゆ」は平安時代の言葉としてみよう。奈良時代、律令制の時代から飛騨工が都と飛騨をせっせと往復し、われらが郷土に奈良の言葉を運んだ。つまりは平安初期あたりに飛騨では「おぼへらるる」ではなく「おもはる」が使われ、やがて後代に「おぼわる」という可能動詞として完成したのだろうね。要するに「おぼわる」という動詞が成立する過程において「おぼゆ覚、下二」の可能表現「おぼへ・らる」の出る幕は無い。ははは 君:あなた、若しかして「おぼわる」の成立年代は平安中期なんて妄想をいだいていないでしょうね。 私:ははは、その通り。大いに抱いているよ。確信している。これで中部地方の言い回し「おぼわる」の謎解きが出来た。ネットのどこにも書かれていないし、方言学の専門書のどこにも書かれていない。そして、僕の理屈の一番の強みは古語文法にきちんとあっているという事。本日の結論だが、下二段が四段や五段の可能動詞になるなんて事は絶対に有り得ない。私の解釈は、そもそもが元々、四段動詞があったという事だ。四段古語動詞が五段口語動詞になったというだけの事なんだよ。ははは、おぼわったかい? 君:ほほほ、お馬鹿さんね。「たばる食」の元の言葉は「たぶ賜・給、四段」から派生したと考えるには無理があるわよ。「たぶ食、下二」+「らる」で「たべらる」じゃないの? 私:とても良い質問だ。実は君のその突っ込みも僕は予想していた。これも結論を言おう。飛騨には「たばっておく」つまりは「大事にしまっておく」という言い方がある。 君:しまった。その通りよね。食べる事ができる、の意味じゃなくて、「いぇーい、もらっちゃった」という意味で「たばる(賜・給、四段+可能助動詞「る」)」なのよね。後代に「食」と「賜・給」の意味の混同が起きたとすればドンピシャリで説明がつくのね。 私:お互い、方言ネイティブは気持ちが簡単に通じ合って便利だね。 君:「きたわる」の元の動詞は「きたふ・鍛」はそもそもが四段動詞だわ。これも重要な発見ね。 私:その通り。ところで、そもそもが口語文法の可能動詞の定義を考えてごらん。 君:ほほほ、なるほどね。五段活用の動詞のみの特徴で下一段活用の動詞に変化させたもので、可能の意味を表現する。古語文法で説明が出来た飛騨方言の表現「おぼわる」「たばる」「きたわる」これらは全て四段動詞の可能表現だものね。 私:その通り。ただし口語では母音交替が生じて下一段になってしまった。理由はたったひとつ、そのほうが言いやすいからという事かな。 君:たった一文字の違いでも深い意味があるわね。 私:だからこそ方言の研究は面白いね。この数日だが、古語辞典の巻末にある動詞・形容詞・助動詞の活用表が面白くてたまらない。 君:あなた、とっても面白い事を見落としているわよ。 私:えっ、得意満面で説明したけど、何か気づかないで、無意識に面白い事を見逃していたという事かい? 君:その通り。 私:ヒントをお願い。 君:だからね、あなたは「おぼへらる」と言ったでしょ。 私:? 君:正しくは「おぼへ・らるる」なの。あなたは文語で「る」抜き言葉という凡ミスを仕出かしたのよ。ほら、今の時代、若者の言葉使いの乱れ、可能動詞の使い方で「ら抜き」言葉、「見られる」を「見れる」と言ったり、「来られる」を「来れる」といったり、御存じ、上一・下一・カ変あたりで「ら抜き」の言葉使いが問題になっているわね。その昔は四段古語動詞以外の動詞で「る」抜き言葉が言葉の乱れとして問題になっていたのかもしれないわ。あなたからそんな恋文をいただいたらお付き合いはお断りだわ。 私:ははは、手厳しいな。でもその凡ミス有り得るね・・・しかり/へいあん/の/わかうど/る/ぬきて/かたりに/ければ/やまと/の/ことのは/みだれぬれて/ただしき/ふみ/しるす/こと/かたし 君:な/四段のほかなる/る/ぬきそ/ことふり/にたれど/あが/きみの/おもひ/あ/こそ/まさしく正/しら/まほしけれ。 ラブレターに誤字脱字は厳禁よ。 まとめ 上代から中世あたりに生まれたであろう四段動詞未然形+可能の助動詞「る」が現代の飛騨方言に残っている。存在の根拠は古語文法及び音韻則の両者に従っている事。四段以外では「る」抜きの凡ミスに注意せよ。 |
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