大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

かける・かからかす

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私:この数日、少し忙しかった事もあって更新できなかった。禁断症状がでちゃうね。
君:ほんの少しでも書き続けたい、という気持ちなのよね。
私:ネタ切れになる事は無いだろう。絶対に。という事で先ほど思いついた自他対。
君:共通語では、かける(下一)・かかす(五段)、ね。
私:うん、そして古語動詞では自他が同じで「かく」。但し、活用は異なる。自カ下二と他カ四だ。漢字の表記としては現代語では専ら欠ける・欠かすだが、古語は多いね。欠、少、缺、闕。
君:ほほほ,字画が多いものは書くのも煩わしいという事で「欠」になっちゃつたのよね。
私:まあ、そんなところだろう。書くまでも無い。もう一つ、古語辞典で気づかされる事がある。「かく欠」の語源は「かく掻」。
君:なるほど、とても痒くて、皮膚をかきむしるほどにポリポリするから「掻」から「欠」が生まれたのね。
私:いやあ、そんな事で驚いていてはいけない。方言学は語源学だ。「掻」から「書」も生まれた。
君:断定しないほうがいいわよ。
私:いや、断定できる。縄文時代以前に日本人は文字を持っていなかった。縄文人とて、虫に刺されれば痒くて掻いていたはずだが、文字の無い縄文人が書いていたわけがない。ただし・・・
君:ほほほ、わかるわよ。土器に絵を描いていた。
私:その通り。「掻」が原点だな。その手の動きから後の世に、描く・書く、が生まれた。縄文土器が欠ける事もあっただろうから、掻欠描書の順だっただろうという事は想像に難くない。左七説。本邦初公開。
君:左七説とはいわないわ。左七節というのよ。
私:いいじゃないか。学問的には無価値に等しいだろうが、言うなれば言葉のロマンスだな。
君:語源はいいから、自他対のお話にしてね。
私:うん。文語から口語への変化で、「かく欠」は二つの自他対に分裂したし、「欠く」そのものは他動詞としても残った、という事だね。注意を欠く、誠意を欠く、等々。
君:昨日はアップロードを欠いた左七。
私:うん。それではいけないという事で、今日は書いた左七。ぶっ
君:あなたって若しかして「かからかす」について何か屁理屈を書きたいのじゃないのかしら。
私:動詞語幹に「らかす」の語尾を足すと他動詞になる、という造語作用がある。飛騨方言で多用されるんじゃないかな。他にも他ラ五(他動詞ラ行五段)「割る」の事を「わらかす」というとか。
君:古典文法的にひねられそうね。
私:然り。若し仮に飛騨方言で「かけらかす」というのであれば、こりゃもう完了・過去の助動詞「り」で決まりだよ。高校時代だが、ら・り・り・る・れ・れ、で覚えたよね。つまりはラ変型活用で、先行動詞は四段の場合は已然形と相場が決まっている。従って、「かけら」は「かけり」の活用だろう。これに接尾語「かす」がつく。接尾語「かす」はこれまたサ四段の活用で、使役の意味を強調する。また上接する動詞を強めても用いられる。動詞の活用語尾のア段に接続する。中世文学あたりから出てくるね。ところが飛騨方言では「かからかす」。つまり品詞分解的には「か・からかす」、つまり「か」は他カ四「か」の語幹、そして「からかす」は他ラ四「かる駈駆」+「かす」、何の事はない、「かき欠(他カ四連用形)からかす」の短呼化だろう。
君:つまりは飛騨方言「かからかす」は中世あたりの中央の言葉。
私:左様でございます。
君:ひなには古き言葉残れり。けだし名言ね。ほほほ

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