大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

つかかる・つからす

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私:私の人生の目的が飛騨方言千一夜。やれやれ、何でこんな事になったのか。
君:才能開花、といいたいところだけど、実は単なる偏屈・根暗。
私:だろうな。早速に本題。共通語「つかえる」と言えば二つの意味。支える[動ア下一][文]つか・ふ[ハ下二]は物が邪魔する事。つか・える〔つかへる〕【仕える】は[動ア下一][文]つか・ふ[ハ下二]は人に奉仕する事。
君:飛騨方言「つかかる・つからす」は共通語・支える[動ア下一]の自他対ね。
私:そう。ところが共通語には「つかれる(疲、自下一)・つからす(疲、他サ五(他動詞サ行五段))」の自他対がある。
君:つまりは。
私:お察しの通り。飛騨方言「つからす(支、他サ五)」と共通語「つからす(疲、他サ五)」は同音衝突する。僕はもう数えで七十歳になる。どうして今まで気づかなかったのだろう。
君:うそおっしゃい、飛騨方言野郎の思いついた事は丸わかりよ。
私:そうか。見破られたか。そうなんだよ、僕は共通語「つからす(疲、他サ五)」は使わない。「疲れさせる」としか言わないね。僕にとっては「つからす」といえば「支からす」で決まり。
君:その辺りが子供の時から言語脳に染み込んでいるので今更、修正は出来ないのね。
私:ああ、無理だな。絶対に無理。死ぬまで飛騨方言で行くしかない。
君:要は貴方の頭は支「つかかる・つからす」と疲「つかれる・つかれさせる」に足すところの仕「つかえる・つかえさせる」。
私:ところがここでまたまた問題発生。僕は「支える[動ア下一]」も使う。飛騨方言のなかでも支・仕で同音衝突している。
君:それは共通語でも同じなのだからお相子よ。あなた、よく言ってるじゃない、会話には文脈というものがあるから同音衝突しても文脈で判断できるんだ、って。
私:それをいっちゃお仕舞。
君:いったい何が心に支えているのかしら。使えて、仕えて、閊えて、痞えて、遣えて、・・・これが日本語の味わい深い所。ほらほら、しかめっ面はお止めになってね。ほほほ、あなた、やはり病気ね。

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