子供の成長発育を願わない親はいませんので、
都会に出て行ってしまった息子が例え故郷に錦を飾らなくとも都会で
元気でいてくれれば素直に嬉しいというものでしょう。
ましてや都会の人間として垢抜けた生活をしていれば、そして言葉も共通語で
洗練されていれば親も喜ぶというものです。
飛騨方言でご挨拶に共通語で話しかけられた息子に母親が
”なんやいな、わりゃたった一ヶ月東京に住んだだけでそんな都会の人の言葉になってまって。
親にえらいいさってまって( = 親に対していばってしまったような口ぶりで )。・・”
という言葉は彼女の本心を表していません。
彼女はすぐに都会に馴染んでくれた息子が
頼もしくも、誇らしくも、嬉しくもあるのです。
つまりは息子が親に共通語で話すというのは一種の親孝行、親へのプレゼント、というわけなのでした。
しゃみしゃっきり。
逆にどうでしょう、息子が都会の人から、あなたは訛りがあるね、とか、
いつまで経っても都会の言葉を覚えないんだよなあ君は、などという
心無い言葉を聞かされて悩んでいる事を親が若し知れば
どうなるでしょう。
でもこんなアンチテーゼのような実話もあるんですよ。
佐七の従兄弟ですが以前に英国ケンブリッジに留学していた事がありました。
現在ならば電子メールでの往信という事なのでしょうが、
手紙は即答性に欠けるし、国際電話は高いし、そこで従兄弟と叔父が考えた伝達手段が
ファックスです。いや実は私は知りませんでした。ファックスって国際電話でできるのですね。
日本国内だけかと思っていました。ちなみに叔父は生まれも育ちも飛騨で、息子と違い英語はからっきしだめ。
ですから、叔父が飛騨から英国ケンブリッジに例えば
どや、まめがぁ?(どうだい元気かい)
と悪筆でファックスをすると息子は英国ケンブリッジから
どさねって!まめやさ、(造作ないって事だい!元気だよ。)
とまた返事を悪筆でファックスする、つまり彼らがなまじ都会の共通語
ならぬ、あちらの言葉・英文を書いてしまうと英国人に通信内容がばれてしまいます。
国際電話ではまたどうしても相手の時間を拘束してしまいます。
その点、悪筆の飛騨方言ファックスは暗号文としては最高、それに気持ちもよく伝わるし。
飛騨方言の思わぬ使い方があるものですね。
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